舟本のひとりごと
2024年11月9日
最後に投稿してから、バリ忙しい日々が続き、すっかりご無沙汰してしまいました。
前の投稿で、“今までの私の投稿に関しましてのご意見、ご質問にお答え致します”と書きましたものの、いやぁ!いろいろ忙しかったものですから書けずに来てしまいました。
では、お答えしていきたいと思います。まず、ご意見、ご質問の多かったのは、
1.英語に関して
2.部活動に関して
3.私の事故を気遣って
と言ったところでしょうか。では、3.に関してです。
いろいろお気遣いいただきまして誠に有り難うございました。早いもので、もう間もなく事故に遭い、8ヶ月が経とうとしております。体の方はお陰様で良くはなりましたが、事故に関係があるのか無いのか、まだいろいろな箇所で障害、後遺症が出ております。
もう8ヶ月なんですね。でも、保証の方は一切支払われておりません。
日本の法律って本当にひどいものですね。
まず、“医者の診断書が23日以内なら不起訴とする”こんな法律、我々一般庶民は事故を経験しない限り、知るはずも無いですよね。その根拠は“毎日、日本中で交通事故に関し、所轄(警察)から検察庁に20件ほども提出され、多すぎて対応できないので23日未満は切り捨てにする”というもの。
私の場合、担当の医師がそのことを知らず“14日間、私が診ましたよ”との診断書を書いてしまった為、脾臓損傷し、10日間も入院したにもかかわらず相手は不起訴。こんな馬鹿な法律、誰が作ったのでしょうか。これでは交通事故がなくならないわけですよね。
皆さん!
万一交通事故に遭われたら診断書は必ず23日間以上を書いてもらって下さい!
と言うわけで、毎日何とか元気に過ごしておりますのでご安心を!
次回は、“部活動と社会教育”に関しての皆様からのご質問、ご意見に答えていきたく思います。
2024年8月18日
“下鴨中学校軟式庭球部50年ぶりの再会”(6月20日)
50年ぶりの同窓会!私にとっても、部員にとっても、生涯忘れ得ぬ、最高の一日を共に過ごした。
今の時代の部活とは異なり、当時の練習はどの学校も、実に厳しく、それでも私についてきてくれた部員が、あれから50年経った今、再会し、皆、昔のまま、元気に微笑み合い、思い出話に花を咲かせた。
「先生、覚えていないでしょう。練習試合でミスしたとき、ホッペをバシーンと叩かれたんですよ。」
「私なんかラケットのグリップで頭をボカーンと殴られたんですよ。」
「私よりましよ。私なんか練習試合で負けた時、1時間も正座させられたんだから。」
「僕らの学年は、新人戦の直前に一寸悪いことをしてしまい、先生は僕らの目の前で申込用紙を破いてしまったんだ。その結果、楽しみにしていた新人戦出られなかったんだよ。」
いやはや、今では懲戒免職になるような話も、皆50年前に戻り、大声で笑いながら盛り上がった。
その一方、
「休みの日の練習は、私、葵チャンをだっこしながら恵君とボール遊びをして子守をしていたのですよ。」
「私の母も手伝いに来て、二人のお子さんの面倒を見ていたのですよ。」
恵、葵とは当時保育所に通っていた私の子供だ。何時しか顧問の私、部員そして保護者が一体となり、まるで家族のような集団を築き上げていった。保護者の皆さんともよく食事会をしたものだった。
遠征試合の話も出た。
近畿を制覇し、全国大会で小田原に行った時の話。校長、京都府教育委員会体育科代表者、そして保護者の皆様も全員応援に駆けつけてくれた。1回戦で負けてしまったので、時間が余り、保護者の皆さんは熱海観光を楽しんで帰られ、「こんな旅行が出来たのも子供のお陰ね」と言って下さった。
京都の強豪校として、千葉県で行われた、“全国中学軟式庭球選手権大会”にも招待されたり、名古屋、奈良の県大会にも招待された。
日曜日、祝日は必ず練習試合の日。京都市内は勿論のこと岡山、滋賀、大阪まで足を伸ばした。
今考えれば、よくもまぁ、中学校の部活でこの様なことが出来たものだ。今の時代の部活では考えられないことだろう。
皆、口々に、「あの時の厳しい練習を乗り越える事が出来たから何があっても、今まで頑張ることが出来た」と言ってくれ本当に嬉しかったが、実は私もそうだった。
私にとっても、監督として、近畿を制覇すること、京都府の強化部長を任せられ、“三都市大会”の監督を3度任され、責任を負わされた時も厳しさから、心身共に疲れ切っていた。乗り越えられたのは逆に、部員、及び選手のおかげだった。
その経験が糧となり、その後の厳しい予備校界でも頑張ることが出来、当時の皆様には本当に感謝しています。
心からお礼を申し上げたく思っております。
顧問の私、部員、お互い当時の厳しかった時を共有出来たからこそ今回50年ぶりの再会が実現でき、家族としての絆が一層強まったと思います。
また来年、皆元気にお目にかかれますように!
次回から、質問ご意見が溜まっておりますので、答えたく思っております。
2024年8月16日
エピローグ 私の“英語教育への旅”(2)
2. 長文読解!そして、文法!
ここも、京都Y.M.C.A. 理事長に、“京都Y.M.C.A.
の教科書は全て私に作らせて欲しい”と依頼したら、“私の方もそれを願っていたのですから、お願いします”と言って頂きました。
早速、30年間の大学の過去問を読みあさり、内容のある長文を私なりに厳選。そして、私の読んだ本。
あらゆるジャンルから読んで楽しくなるような、生徒の知的好奇心をくすぐるような長文を集めました。
以前、「ドラゴン桜」とかいう(実に馬鹿げた)テレビ番組がありましたが、その中で、一点、共感する点がありました。英語の教師に選ばれた、フィリッピン・バー(だっただろうか?)、の先生が、こんなことを言っていましたね。
「英語はこの300曲の歌の台詞を暗記するだけで、東大に合格するんだ」テレビ番組ですが、全く馬鹿げているとは言えません。
私も、ジャンルの一つにフォークソングを取り入れました。例えば、高校1年生には「花はどこへ行ったの」Whre have all the flowers
gone?
ここでは現在完了形を教えることが出来ます。
「文法は何のためにある?長文に書かれている意味を理解するためにあるんだ。決して、文法を独立させて勉強してはダメだよ。まして、暗記、暗記学習で文法を理解しようとするから英語は面白くなくなるんだ」いつも生徒に言ってました。
flowers→ girls → husbands → soldiers → graveyards →flowers → "When will they ever
learn?"
人々(君達もこの中に入っているのだよ)は、何時この事を学ぶのだろう?
その当時はベトナム戦争が終結して間もなくの時。今はウクライナ侵略。どうして、人類は戦争を繰り返しているのだろう?
そこから問題を提起し、私のベトナムでの体験談を話すことに。生徒は真剣に耳を傾けてくれた。生徒の感想。「長文の授業って面白いや。英語を日本語に訳すだけじゃないんだ。」
エピソードがあります。
一人のアルカディアのイケメンで、優秀な生徒が受験を終え、東京からまっすぐ塾に帰ってき、10人ほどの生徒が遅くまで、塾で彼の帰りを待っていました。
「慶応の問題で3番がムズすぎた。手も足も出なかった。」
皆、集まり、その問題を解こうとしたがさっぱり分からず、私に聞いてきた。彼ほど優秀な生徒が分からないなんてどんなに難しい問題なのだろう?私は恐る恐る(?)その問題を見た。生徒達の目が私に集中した。私は即、その前日、帰りの電車の中で聞いていた一枚のC.D.を取り出し、プレイヤーで皆に聞かせた。皆ビックリ!
出典は、私の時代、フォークソング・コンサートの終わりで、必ず会場内、皆で歌った"This land is your land, this land is my
land" 「我が祖国」の一節でした。
学生時代、何度かコンサートを開いた私にとっては、今でも暗記している楽曲なので、分かっていて当たり前のことでしたが、誰も解けなかった問題が私は数秒で解いてしまった事に皆驚いてしまった。
何故、そんなことが?(全員、ポカーン)
映画からも選んだ。以前投稿した、チャップリンの「ムーンライト」。映画の台詞を各自、好きなように訳してもらった。最後に私は「チャップリン演じる、無神論者のチャーリーが“神様、どうか最後まで彼女を踊らせてください”と言ったね。では、“
神”って何だろう?」ここから、宗教論に発展。
「自由からの逃走」「大衆の反逆」など、私の愛読書からも出典。「自由って何だろう」受験で苦しんでいる生徒達にはまさに、何か答えの欲しい問いかけでした。
アルカディアの生徒の中に、実にユニークな生徒がいた。2浪の為もあってか、皆から親しまれていた。関西の名門校を合格したにもかかわらず、どうしても明治大学に行くと言って聞かなく、2浪を決心。困った親から相談を受けた。「私から聞いてみますね」彼の答えは「親父の顔を見たくない。関西にいたら必ず会いに来るから、どうしても東京の大学に行く。“自由”になるんだ」私は、「分かるけどさ、授業料、生活費を稼ぐのは大変だよ。それはどうするつもりだい?」「大丈夫。それは親父に仕送りしてもらうから」本当に、“自由”って何だろうね?結局彼は翌年、早稲田に合格していったが、彼には悪いけど、いつもこの話題で盛り上がったものです。
その後、彼は、“自由”(?)を満喫しているのだろうか。
長文を通し、世界にも目を向けた。作家、小田実さんの「何でも見てやろう」のように、私が一人でぶらついた、さまざまな国の話もした。今思えば、危険なとこばかり、怖いものなしの旅だった。団体旅行では、「この路地には絶対入らないでくださいね」と言われるようなところばかりぶらついた。 様々な国の若者と話すことが出来た。
「そこではさ、お互い、きれいな発音も、正しい文法も必要なかったんだ。ただ、お互いが話し合っていることだけで充分だったと思う」
皆、興味津々と聞き入ってくれた。
長文読解とは、単なる、英語→日本語の図式ではなく、そこから文法を学び、その内容をより良く理解し、広い知識を得るものだ、と言うことが少しでも教えられたら、といつも願っていました。
この様な授業ばかりをしていても、決して受験にも影響はなかった。代ゼミに通っていた、高卒生の女子生徒。3月、朝日新聞の広告から。
「私は、この一年間、英語は舟本先生の授業しか取りませんでした。英語が大嫌いで、受験に失敗してしまいましたが、お陰様で英語が大好きになり、第一志望校に合格できました」
良かった。どこに受かったのかな? 東大理Ⅲでした。
英語は決して、受験のための目的ではなく、人生の一通過点であるようだ。まず、楽しめたら良い!面白ければそれで良い!
アルカディアの卒業生は、英語を必要とする業界に入った人もいれば、自然と流れてくる英語の音楽を楽しんでいる人、もしかしたら、実にへたくそなメジャーリーグの日本語の解説より、何を言っているのかさっぱり分からなくても、迫力のある英語で楽しんでいる人、アイドル歌手の台詞の中に垣間見られる英語の単語にうなずいている人もいると思います。それぞれの生活の中に、英語が染みついているはずだ、と信じてやみません。
音楽、体育、技術家庭のように、どんな形であれ、一生役に立つ英語を、中学・高校時代に身につけさせてあげるのが、いやしくも英語の教師と呼ばれるものの務めのような気がします。私の生徒で、“なぜ英語を勉強しなければいけないのか”と問いかけてくる人は一人もいませんでした。
やっと、私のその答えを求める旅はどうやら終わったような気がします。
今、あの女子生徒達がもう一度質問してくれたら胸を張ってこう答えたいな。誰も答えてくれなかった私なりの解答。気休めにでもなってくれたら良いのですが。
“何故私達は英語を勉強しなければいけないのですか”
“だって、楽しいじゃないか”
2024年8月6日
エピローグ 私の“英語教育への旅”(1)
2023年11月17日付けの“舟本のひとりごと”から
私が人前で初めて英語を教えた教育実習で、夜間定時制に通う女子高生の話をしました。その中で“なぜ私達は英語を勉強しなけばいけないのですか”という真摯な質問を叩きつけられ、答えられなかった自分が何とも情けなかったのですが、その時からその質問に答えようと、私の“英語教育への旅”が始まりました。その旅も間もなく終えようとする今、何とか私なりの答えが出たような気がします。
旅の始まりは、京都Y.M.C.A.予備校だった。
2年目にして英語科主任を任せられた時、条件として、何でもやりたいようにしても良い、と言う許可を頂きました。楽しい英語学習とは何だろう、と考えたとき、すぐ頭に浮かんだのは、
1. 英作の授業は、Nativeさんと一緒にすること!
恐らく、この授業形態を私立高校・予備校で“本格的”に取り入れたのは全国で、私が初めてだったと思います。もう約50年も前のことでした。私が、当時頭に描いた英作の授業とは、
☆自分で考えた英作を皆の前で板書する
☆Nativeの先生が英語で説明しながら皆の前で添削
☆文法等、英語で説明しても、生徒に伝わらない箇所は、私 が説明する
当時この授業形態がほとんど不可能に近いものだった。その理由は、上記の絶対条件を満たす為には、
(1)優秀なNativeの先生の確保!
英会話の授業ではないので、英語を話すだけではダメ。日本語、英語のBilingual
であり、なおかつ相当の知識を持ち合わせた人でないと務まらない。欲を言えば、ユーモアのセンスを持ち合わせ、授業経験のあるNative の先生。
(2) 次に、予算!
1クラス20名程度の小クラスでなければならない。すると、講師給の2人分、プラス、1クラスで済む授業を5クラスに分けるのだから、計10倍の予算が必要となる。
この絶対条件が必要なので、実現するのは不可能に近いと思った。しかし、館長である京都Y.M.C.A.
理事長に相談すると、すぐに、“約束通り、先生の好きなようにやって下さい。すぐ、Y.M.C.A. から、特に優れたNative
の先生を揃えます”と言う返事を頂きました。
これほどスムーズに事が運んだ理由はY.M.C.A. はNative さんの宝庫であったこと。私は、10人以上ものNative
さんと一緒に授業をしましたが、全ての先生は、(1)の条件を全て満たしていたどころか、はるかにその上を行っていました。それもそのはず、全ての方は、Y.M.C.A.
本部から日本に派遣された方々で、世界を駆け巡り、Y.M.C.A. 活動をされながら、当時は京都の各大学の講師もなさっておられた方々ばかり。
(2)の予算の方も、“ご無理を言って先生に英語科主任をお任せしたのですから、予算は赤字でも構いませんので自由に、先生の好きなように進めてください”と言って頂いた。
これで、楽しい英作の授業の条件は整い、大きな第一歩を踏み出すことが出来た。
Nativeの先生の授業は素晴らしかった。
英作の授業は、笑い声にあふれるようになった。国民性の違いか、Native
の先生達の教え方は、常にジェスチャーを交え、ユーモアーに満ちていた。平気で生徒の机に座り、分かるまで易しい英語で語りかけていた。英語の授業は発想次第でこんなに楽しいものになるんだ・・・。
先生方は皆、授業中には一言も日本語を話さず、生徒には英語で説明しにくい箇所は、全て、
"Funamoto San, Explain, please." "Funamoto Sensei, Please, translate my idea to
them."
と私に振り、生徒の前では必ず私を立ててくれた。最後まで生徒はNative の先生は日本語が話せないと、思っていたようだ。
Native の先生の中に、ニューヨークでトップのジャズドラマーMark DeRose氏がいた。
“空手”の力強さをジヤズ・ドラムスに取り入れようと弟子入りした先が、私の教え子が総師範を務める空手道場。教え子の依頼で私は、京都Y.M.C.A
予備校をバイト先に紹介。
ニューヨーク・トップ・ジャズ・ドラマーと一緒に英語の勉強をしているという充実感が教室に満ちあふれ、生徒は大喜び!ますます、英作の授業が楽しくなっていったようだった。
当然、アルカディアでも英作の授業はNativeの先生と一緒だった。特に素晴らしかったのはチャック先生。そのライヴ版を出来れば近々出版したいと思っています。
2024年7月25日
"なぜ英語を学ばなければいけないのか" 結論(最終編)
前回私の投稿で述べた事。それは理想なのでしょうか?
とんでもない、理想どころか、さらにその上を行く学校が数多くあります。
幼稚園、保育所
私のある教え子のお母さんは保育所を経営なさっておられます。その保育所では、Native
の先生が、毎日子供達と一緒に踊り、歌い、会話しているのです。いったん保育所に入ったらその日は、一日中、会話は全て英語。すごいね!
小学校
ある関西名門大学附属小学校の朝の光景。始業1時間前、小学校低学年。
Native の先生(以後A)が教室に入ってくると生徒(以後P)一同、“グッド・モーニング、ミスターA. ”で始まる。
A:"Good morning, everybody. Are you ready? "
P: "オーケイ ミスターA. "
すると生徒は全員起立し、教室に響き渡るような大きな手拍子に合わせ、体全体を使い、大きな声に合わせ踊り始める。
P:イエーイ、イエーイ
一体、何が始まるのだろう?すると前方のスクリーンには
The early bird catches the warm. という英語の諺が現れる
P:アーリーバード、(イエーイ、イエーイ、) キャチイズ ザ ウオーム、(イエーイ、イエーイ).
先生も一緒に、手拍子を打ち、踊りながら大きな声で、
A:Very good, good job. Once more. O.K?
想像してみてください。楽しそうに手拍子に合わせ、踊りながら、笑いながら体全体を使い英語を表現している生徒達の姿を。発音も意味もどうでもいい。知らず知らず、小学校一年生から英語が身についていくのです。そのまま英語教育が続いていくようです。
中学校
あるテレビ番組を見て、私も驚きました。私の理想論どころか、それ以上の英語教育をしている学校が次々に登場してきます。各学校の創設者が、いずれも、国際社会に通用する生徒の育成、英語教育改革、何よりも生徒の“自学自習”を目指し建学したそうです。中学から海外で活躍する人材の養成を目指し、その中には中学一年生から積極的に帰国子女、交換留学生を迎え入れ、中学から国際教育を始めている学校もありました。
高校
全科目、全てNative. の先生という高校もありました。
社会、理科はテーマを決め、各グループが英語で発表。他のグループとの質疑応答。全て英語で行われます。音楽の時間はグループに分け、グループで作詞(英語)作曲した歌を披露し、英語でその内容、意図を説明。すると他のグループは英語で評価する。まとめは、Native
の先生。
以上の学習のテーマは全て先生のアドバイスの下、生徒自身が決めていく。
進学先はアメリカの大学を目指しているそうです。
勿論、小学生の時からこの段階を踏まえていくのでしょう。
その他、いろいろな英語授業改革をしている学校が数多くあります。どの学校も、生徒が皆、笑いながら、本当に楽しんで英語授業に参加するような試みをしているのが印象的でした。この様な英語教育を受けている、受けた事のある生徒諸君はおそらく
"なぜ英語を学ばなければいけないのか" という質問は出てこないのではないでしょうか。 答えは分かっているからでしょう。
勿論、各学校のプロパガンダであることを考慮して下さい。
しかし、残念ながらこのような革新的な英語教育を始め、全教科のプロジェクトをこなし得るのは、小・中・高の一貫教育である私学が殆どで、残念ながら公立学校は殆ど登場してきません。次の条件が備わっていなければならないことに気が付きます。
☆革新的な“建学精神”を目指す創設者、総長の存在
☆莫大な資金
☆多くのnativeの先生の獲得(都会に限られてしまいます)
では、上記の条件を満たさない学校では、不可能なのでしょうか。
公立学校では?文科省→教育委員会→校長という、戦後からほとんど一貫して変わらないこの図式を変えるのは不可能でしょう。
英語が副教科となり、入試科目から外されない限り無理でしょうね。
例えば、音楽の時間など、先生の力量によって、いくらでも楽しい、革新的な授業が出来ているではないですか。
"なぜ音楽を学ばなければいけないのか" という質問は出てこないはずです。
"なぜ英語を学ばなければいけないのか"
私なりの結論は・・・
その前に、多くの方からご意見、批判等が寄せられました。
「先生は単なる評論家ですか。では、ご自分では "なぜ英語を学ばなければいけないのか"
に対する答えを見いだしたのですか?」このようなご批判、ご意見が一番多く寄せられました。では、私なりの "なぜ英語を学ばなければいけないのか"
の答えを自分の経験から次回投稿させて頂きます。
2024年6月26日
"なぜ英語を学ばなければいけないのか" 結論(前編)
結論ともなると長くなってしまったので、前編・後編の2回に分けて投稿します。
やっと、私なりの結論にたどり着けそうです。
まず、多くの生徒達に
"なぜ英語を学ばなければいけないのか”
という疑問を抱かせること自体が問題だと思います。
では、"なぜ副教科(体育・美術・音楽・技術家庭)を学ばなければいけないのか" という疑問を抱く人はいるでしょうか? 恐らくほとんどいないでしょうね。
私は、絵を描くのが大の苦手だったため、美術の時間は大嫌いでした。しかし卒業後、ルーブル美術館初め、美術館にはよく行き、絵画鑑賞を楽しんでいます。
音楽の授業は大嫌いでしたが、今でもよくフォーク・クラシック・ロックコンサートを聞きに行くし、毎日通勤の電車の中では必ずC.D.を聞いて楽しんでいます。
体育の授業が大嫌いだった、ましてや体育大会など休みたいと思っていた人達も、卒業後、いや60、70才になっても何らかのスポーツを楽しんでいますし、W.B.C.
等のスポーツ番組を楽しみながら、興奮しながら見ています。
多くの人が同じ体験をしていると思います。
この様に考えると、副教科(音楽、体育、美術等)は私達の日常生活の一部に溶け込んでいるからでしょう。
また、不思議なことに、英語以外の主要教科である、国語・数学・社会・理科を学ぶことに疑問を感じている人も、さほどいないと思います。
では、何故英語だけに疑問が生じるのでしょうか。
それは、前文部省が、戦後、英語教育を導入して以来、英語教育を“展望なきVision”のまま導入し、大きく道を踏み外してしまい、英語を主として大学入試のためだけに全ての生徒に教えてきたため、多くの生徒に「何故?」と言う疑問を抱かせてしまったのです。
しかも、文科省指定の学校の教科書は読んでも何も面白くない長文ばかり。大学の入試問題は難しすぎ、大学入学後の英語の方が、はるかに容易である、と多くの生徒が言っています。つまり、現在の入試英語は、将来、ほとんど役に立たない問題が多いのです。
まして、下線部訳、英作等の筆記問題は私立大学側の都合で(志願者が多いので)採点不可能な為、全てマークシート! 従って私大を受ける生徒は和訳、英作の勉強はしなくても良い! 実に馬鹿げています。英語を学問としてではなく、単なる大学受験のための道具としてしか見ていないからです。
文科省が英語学習の必要性として挙げているものは、「外国人の日常の生活や、思考様式を全生徒に基本的に理解させること」です。
確かに、このことは非常に大切なことだと思います。しかし、英語学習を利用して、この目標を達成しようとするのは、いかにも短絡的なものの見方です。つまり、外国人も英語を学んでいるのだから、日本人も英語を学びさえしたら、彼らと英語で話が出来、国際的な感覚を身につけるであろう、ということです。
こういった内容を生徒に日本語で受けさせる方が、英語に興味を持たない生徒にも、世界をより良く理解する機会を与えてくれるでしょう。従って、私なりの結論は、
日本語で、国際的なテーマや異文化間のテーマを扱う、例えば、仮称“国際社会学”と言った教科を英語の代わりに主要教科にし、
英語を“副教科”
にする事です。英語を“副教科”にしてしまえば、一番問題となる、入試科目から英語は外され、英語をさほど必要と思われない生徒にとっても、卒業を危ぶまれることなく、それどころか、取り組み方次第で、楽しさを覚え卒業することが出来、音楽や美術、体育と同じように、将来きっと役に立ってくる、と確信しております。
英語を“副教科”にすると、つまり、受験教科から外すと多くの生徒が楽しめるような、生涯、誰もが必要なときに自ら学習出来るようにする“明確なVision”は、真剣に考慮すれば、いくらでもあるはずです。
例えば、小学生から音楽の授業に易しい英語の歌を導入する。英語の歌をC.D.
を聞きながら、発音をまねて一緒に歌ってみる。高学年になると、面白い英語の人形劇、(例えば昔懐かし、「セサミストリート」など)のビデオをホームルームの時間等を利用し生徒達に見させる。
意味は分からなくても良いのです。いずれ、恥ずかしがらずに英語らしい発音が出来るようになり、また、外国の文化が知らず知らず、少し少し、身についていきます。これなら小学校一年生から始められます。
中学生になったら、週一度の正規の副教科である英語の時間に、易しい英語での会話を教え、文法の基礎を面白く、理論的に教える。暗記教育は決してしてはいけない!
低学年は、週一度、副教科の授業の他に、選択科目を設定し、生徒の要望に合わせ、それぞれ好きなことを英語で行うコースを設置する。月曜日から金曜日の週一度、様々なコースを決め、各自好きなコースを選ぶ。
例えば、英語の歌を覚えるコース、英会話のコース、英語劇のコース。いろいろ出てくると思います。
高学年になったら、もっと面白い事が出来るね。
ラップで、踊りながら英語で自分達で歌詞を付け、言いたいことを英語で言ってみるコース。1学期かけて、1冊の本を読破するコース。「星の王子様」等いくらでもあると思います。その前提となる文法は、しっかりと週一度の正規の副教科の授業で学習すること。
高校生になったら、各教科の中に少しずつ、英語を取り入れてみる。音楽の時間は、英語の歌を三部合唱で歌ってみる。グループに分け、自分達が作詞、作曲した英語の歌を英語で歌い、その主旨を英語で解説し、他のグループはそれを英語で評論する。
ホームルームの時間は、英語でデベートを行う。少し難しい英語の小説、随筆を読み、その感想を英語で皆の前で発表する。
社会の時間はグループに分け、歴史的事件を取り上げ、自分達の意見を英語で、皆の前で発表する。他のグループは、それに対し意見を述べる。各グループ、自分の町の歴史的遺跡を調べ、英語で発表する。
いやぁ!理想ですね。皆、笑顔で授業に参加している様子が目に浮かびます。
まてよ!果たして理想でしょうか?
大きく目を広げてみましょう。今、私が述べた事(一見、理想論、いや不可能なこと)を実践している学校がもうすでに、少なからず存在しているのです。
では次回、理想論を現実論に変え、それを実践している学校は、どのような英語教育革新を成し遂げているのでしょうか。最終的な私の結論を述べたく思います。
2024年5月17日
“何故英語を勉強するのか”
今回はこのテーマについて、次回私の私見を述べますと投稿して以来、早や、2ヶ月近くが経ってしまいました。数人の方々から“早く結論を聞かせて”という苦情を頂きましたが、言い訳になるかもしれませんが、思いもかけぬ事件がありました。
3月12日、11時ごろ、仕事が終わり、帰宅途中、横断歩道を青信号で渡っていた時、いきなり車にはねられ、即入院しました。脾臓損傷という診断書で、2袋、輸血致しました。この間、本当に残念だったことは、
1. 授業が出来なかったこと
私には一切落ち度がなかったとはいえ、生徒諸君には多大なるご迷惑をおかけいたしました。しかも、1ヶ月間の休講となってしまいました。
2. 約半世紀ぶりに集まる予定のテニス部同窓会に出席出来なかったこと。
東京から参加してくれた部員もいたらしいのですが、本当に悔しいです。幸いなことに幹事の連中が「6月に、今度は先生に来て頂き、次回はもっと連絡を取り合い、より多くの部員を集めよう」と言うことで、お開きにしたそうです。本当に強い絆で結ばれているのですね。ただただ感激し、感謝の気持ちで一杯です。
この間に感じたこと。
1. 日本の車両保険制度への激怒
高額な保険金さえ払っておけば、事故処理は全て保険会社が受け持つと言う契約らしく、今回も、事故に遭って、入院し、退院し、家で苦しんでいた約30日間、加害者はただの一度も謝罪にも、お見舞いにも来ませんでした。電話すら。
この事故が原因で、チラシがまけず生徒募集が一切出来ませんでした。昨年度もまた前年度に引き続き、京大現役合格を初め、素晴らしい実績を成し遂げたにもかかわらず、新規入塾生はゼロに近い状態。しかし、この様なことは一切考慮されず、保証はないようです。
結局、この国では、お金で解決しようとする加害者の人権が保険と言う制度でしっかり守られ、被害者の人権は考慮されないのですね。
ただ、昨年度からの塾生は、学年末試験を控え、最も大切な時間を1ヶ月も休講にしたにもかかわらず、全員が私の帰りを待っていてくれたことが唯一の慰めです。感謝致しております。
2. 毎日カウントダウンして待ちに待っていた、約半世紀ぶりのテニス部同窓会への欠席
あとカウントスリーまで行ったのに・・・。6月にもう一度集うことになり、今度こそは半世紀ぶりに部員の顔が見られることを今から待ち望んでいます。
ただ、実に腹立たしいことがありました。同窓会の前にどうしても当時の部旗を飾りたく、中学校に電話しました。部旗とは、全国大会出場を祝い、卒業生がお金を出し合い、プレゼントしてくれた忘れられない大切なクラブの象徴でした。試合の時は常に部旗を背に闘っていた思い出が頭をよぎります。さて、中学校の女性教頭との電話での会話です。( )内は私の頭の中での“ひとりごと”です。
舟本:教頭先生いらっしゃいますか。
教頭:何ですか。(教頭ともあろうものが挨拶も出来ないのか)
舟本:私、50年ほど前、そちらの中学校でテニス部の顧問をさせて頂きました舟本と申します。実は、約50年ぶりにテニス部の同窓会をすることになりましたのですが、部旗をお借り致したくお電話させて頂きました。
教頭:ブキって何ですか?(これが先輩に対する口のききかたか!思わず、手榴弾と、機関銃と戦車です、とでも言ってやろうかと思いました)
舟本:テニス部の旗です。全国大会に出場したとき先輩諸氏が作ってくれた大切なものなのですが。
教頭:そんなものありましたかね。見たことがないですよ。
(そんなものとは、この人何を考えているんだ!今の若者言葉を借りれば、マジ・バリ頭にきた)
舟本:では、顧問の先生にお会いし、伺ってみます。何曜日テニス部は練習していますか。練習の最中でしょうから5時過ぎに伺います。
教頭:ああ、明日はやっていますよ。でも、全市的に部活は5時までですよ。それ以後は禁止されていますから。では。ブツーン。
(ただただ呆れた。管理職ともあろう者の電話の対応の仕方。全市的に部活は5時までとは・・・。着替えをし、準備運動をしたら、すぐ5時にはなる。ここまで管理職も含め、教師は堕落しているとは。想像してはいたものの、数年前私が懸念し、投稿していたことが、まさかこんなに早く現実となっていたとは。)
翌日テニス部の卒業生の車で、二人で学校へ行ってみた。教頭との会話。職員室に入った。私達に気付き・・・
教頭:何ですか?(やはり、挨拶の出来ない人だった)
舟本:失礼します。昨日お電話した舟本ですが。
教頭:ああ、そう。○○先生、案内して。(客に対する応対の仕方が全く分かっていない。私はある程度予測していたが、一緒に行った卒業生は余りのマナーの悪さにただただ呆れかえっていた。)
女性の先生、「こちらにどうぞ」と言ってテニスコートに我々を案内してくれた。数名の女子部員が練習していた。
「良かった、テニスコートは2面存在していた。思えば、この2面を学校側に要求するのに、どれだけ校長とやり合ったことか。そして、他の教師からどれだけ批判を浴びただろうか。何せ、無理矢理グラウンドの約4分の1をテニスコートにさせてしまったから。「当時、私が最も発言力があったんだろうなあ。」などとふと思ってしまった。
テニスコートを見ると、女子部員の中に可愛らしい男子に思える生徒がいた。「あれ、女の子かな?」先生に聞いてみるとアルバイトのコーチを週何回かしている大学生だった。案内してくれた先生が顧問の先生。体操服は身につけていなかった。普段着でローヒール。私の時代は、体育系の顧問の先生は男女にかかわらず、皆体操服に着替え、必ず現場に出向き、部員を叱咤激励していたものだったが。今、見てみると、顧問はコートには顔を出さず、大学生に全て任せっきり。部員は絶対に怒りも、怒鳴ることもない大学生のお兄さんと楽しく遊んでいる。サークルのママさんテニスとどこが違うのだろうか。
さて、部旗の話に戻りますが、聞いてみると、「先日部室を掃除していた時、部旗はありませんでしたよ。宜しければ探してください。」
勿論あるはずもなかった。テニスコートの近くにある焼却炉の中で、我々の思い出を秘め、伝統と共に灰になってしまったのだろう。
これが文科省の目指している給特報に元ずく働き方改革なのだろうか。教師の基本給が4%から10%に上がるらしいが、相変わらず働かせ放題。公立学校とは、全く夢のない廃墟となってしまった。
何とも空虚な気持ちで学校を後にした。この事実を卒業生に何と伝えたら良いのだろうか。帰りの車の中で、
「我々のしていたことは絶対正しかった。その証拠が、今日、半世紀ぶりに皆がこうして集まった事だと思うよ。」
こんな風にでも言おうかな?
2024年4月8日
"なぜ英語を学ばなければいけないのか"
まず、文科省の学習指導要領(英語編)をよく読んでみましょう。まぁ、長々といろいろ書かれてますが、要約すると
「今後ますますグローバルな世界になるので、英語学習を通じ、外国人の日常の生活、文化、思考様式を全生徒に基本的に理解させること」その為には、
「『五つの領域』
聞くこと 読むこと 書くこと
話すこと[やり取り] 話すこと[発表]
を重視し、英語を通し、社会や世界との関わりの中で国際情勢を捉え,社会や世界,他者との関わりに着目し,コミュニケーションを行えるようにすること」
つまりは全生徒に英語学習を通し、"国際的感覚" を身につけさせる事、これが文科省の目指していることでしょう。
もう一つ、指導要領には、絶対に見落としてはいけないことが明記してあります。
「その為には、授業全体を英語を使った、実際のコミュニケーションの場面とするため、
『授業は英語で行うことを基本とする』こと」
いやぁ! 実に素晴らしい要領ですね。
しかし・・・・・
学校の現場にいる教師なら、この要領がいかに現場を一切理解していない、現実離れした、いかにもキャリアの連中の "思いつき" であるか分かるはずです。
例えば、文科省が必死に取り組んでいる、(取り組んできた)、共通一次、センター試験、(新)共通テストの問題を取り上げてみましよう。
これらを受験するため、毎年、50万人以上もの生徒達は、多くの時間を費やし、必死に取り組んでいる(きた)のです。しかしながら、これらの試験の、どの一問を取ってしても
"国際的感覚" を身につける問題など一題として見当たりません。
『授業は英語で行うことを基本とする』こと。
そう言えば、2年ほど前、「全ての英語の授業は英語で教えること」と言った命令(?)が下されましたが、いつの間にか『尻切りトンボ』に終わりました。
文科省に尋ねるなら「記憶にございません」とでも言うのでしょうか。
大学の専門課程、あるいは大学・大学院の一部の講座であるなら、Nativeの教授が英語で授業を行い、学生と英語でコミュニケーションをはかることは可能でしょう。受講する学生には講座の内容を理解するだけの英語の能力が備わっているからです。
そのイメージをそのまま中・高校生の授業に取り入れようとすること自体、いかに現場を知らない連中が学習要領を作成したかを物語っているのではないでしょうか。
be動詞、冠詞、前置詞等を英語で教えることの出来る教師など恐らくいないでしょうし、仮に、本当に仮に、いるとしても、その授業を理解出来る中・高生などいないでしょう。まして、読解ともなれば、英文をどのように英語で説明し、その内容を生徒に伝えることが出来るでしょうか。
正直、私には絶対に出来ません。生徒達にはまだ、Readinessが出来ていないからです。
"国際的感覚"
を身につけさせようと、立派な学習指導要領に基づき、英語学習を行うことは、全く結構なことだとは思います。しかし、現実に目指す指針は、その主旨とは全く異なる方向を向いてしまっているため、"なぜ英語を学ばなければいけないのか"
と言う永遠の問いかけが生じてしまったのでしょう。
つまり、英語を主として高校・大学入試・検定試験のために全ての生徒に強制的に教えてきたのです。
そのため、多くの生徒は英語に対する興味や動機付けをもたなくなってしまったのです。生徒の多くは、将来英語を使う必要はないと思っており、しかも大多数の生徒にとってこれは正しいのです。
日本が経済成長を続け、国際問題において積極的な役割を果たし続けるには、国民の全労働人口の20%が英語を使う能力を身につければ実際には充分だと見積もられています。この中には英語以外の外国語も当然含まれています。
しかし、外交官、通訳、貿易、A.C.
さん等、本当に英語が重要な役割を果たすのに必要な役職には、帰国子女、つまりBilingual(あるいはTrilingual、Multilingual)の人達がその多くを担っているのです。
実際、12才を超えたら決してBilingualにはなれないことが言語学者が証明しております。しかも、この20%の中には、マニュアル片手の学校の英語教師、外国人相手のお土産屋さんも含まれているのです。
この様に考えると、本当に将来、英語を必要とする職業に付けるのは、全労働人口の僅か数%であり、このことは多くの生徒も感じているはずです。ですから、
多くの生徒達は、最終目的となってしまった大学に合格しても、今まで一生懸命勉強してきた英語に、 "実践的な・実用的な価値" を認めたいから、" なぜ英語を勉強するのか"
と言う疑問が常に存在するのでしょう。
"なぜ英語を学ばなければいけないのか" その答えを見いだしていくことが、本来のテーマだと思います。
では、どうしたら良いのでしょうか。理想論、英語教師として今できること、を私なりの意見を次回投稿しようと思います。
2024年3月8日
"何故英語を勉強しなければならないのですか?"
2023年11月17日付けの「舟本のひとりごと」で、教育実習生の私と、看護婦さんを目指す女子生徒との会話をご紹介しました。その時の私の返事は、今でも、はっきりと覚えているのですが、何とも
"青臭く"、ここに書くのも赤面致しますが、その内容とは、
「私は最近、二度に亘る手術を受け、その時看護婦さんには大変お世話になりました。看護婦さんという仕事は皆に尊敬される、素晴らしい職業だから、皆さん、是非とも頑張って夢を実現して欲しいと思います。英語はその為のハードルだと思えば良いと思います。仕事、学校と大変だろうけど、必ず授業には出席すること、予習、復習をする時間がとれないなら、授業中は集中して聞き、分からないところはすぐ先生に質問したら良いと思うよ。
文部省が、中・高と、国・社・数・理・英を主要5教科に指定しているのは、この5教科がいずれ皆さんを教養ある人間に育ててくれるからだと思うんだ。英語だっていつか必ず役に立つことがあるよ。僕も病気を克服し、頑張ります。お互い、高いハードルを乗り越え頑張って行こう!夢は実現しようね。約束だよ!」
今思えば、彼女達には、何と過酷なアドバイスをしたことだろうと後悔しています。この様な一般論では何ら答えとなっていなかったでしょう。
ただ、お互いまだ "青臭かった"
し、お互い、切羽詰まっていたという境遇で、心は通じ合ったのではないかと信じたいです。気のせいか、彼女達が実習生の控え室を出て行くとき、笑顔が見えたのがせめてもの救いでした。
その後、私は約束を果たすことが出来、仮免許で一年間半の小学校の教師をし、やっと、正教員として中学校の英語の教師になれました。
あの時、彼女達の置かれていた立場が、切羽詰まった状況でなければ、
「大丈夫。英語はね、勉強すれば面白いし、本当は、楽しい教科なんだよ。楽しく勉強しようよ。」と、言ってあげる事が出来たら、どんなに良かったでしょう。
そして40年経った今、私は真剣に自問しています。
"なぜ英語を学ばなければいけないのか"
次回から、二度に分け、文科省の学習指導要領を検証し、私なりの結論を述べていきたく思っています。
2024年3月7日
「舟本とchuckの英作」今回のシリーズは、かなり長くなってしまったので、このシリーズは今回までとします。
このシリーズを書いていた私も、本当に良い勉強になりました。その甲斐もあって、「なぜ英作を勉強するのか」この問に答えられたのではないかと思っております。
日本語→←英語(外国語)
この相互関係があって始めて、英語(外国語)という言語が理解出来るのです。遠回りに思えても、英作を通して、英語がより良く理解出来てくるのです。敢えて言うなら、言語を通しての文化の違いを知る事だと思うのです。
以上が英作は英語を理解する上で欠かせない理由です。
従って「私学を受験するから英作は必要ない」とする考え方は大きな間違いでしょう。
言語教育を全く理解していない発想ですね。そもそも文科省が、この様な私学の考え方を正さないことが問題でしょうね。
次の様な声が聞こえてくるようですね。
「良く分かりました。京大の英作と言えども、日本語が理解出来れば、高1レベルの英語の学力でも、何とか英作出来るのですね。日本語と英語の文化の違いも分かったような気がします。
でも・・・・。何か物足りにないなあ。何かが引っかかるんですよ。」
そうですね。その先が分からないからです。結局、
"何故英語を勉強するのか"
この答えが見えてこないから、英語の学習には英作が必要だと言っても、全体像が見えてこないのですよね。
ようやく、2023年11月17日の「舟本のひとりごと」に戻れます。次回は、
"何故英語を勉強するのか"
この問題に私なり考えを述べてみたいと思います。
2024年2月4日
第四文:(1. 手提げ鞄を枕にして眠っている若い男や)2. 家族親戚一同に見送られている女、(3. 不安げにガイドブックを広げている旅行者もいる)もいる。
第四文は、少し長いし、表現方法は3カ所同じなので、1. 3. の2カ所は省略します。
第四文:家族親戚一同に見送られている女もいる。
A君の英作
There is a woman who says good-bye to all of her family and relatives.
Bさんの訳
彼女の全ての家族や親戚にさようならと言う女性がいる。
A君の英作の簡単な間違いから指摘しましょう。
"見送られている" 見送るはsee ~off ですが、思いつかなかったのかな? でも気持ちを切り変え、"さようならを言っている" とか "別れを告げている"
とアレンジしたのは立派ですね。
日本文が難しかったら、英作出来そうな、易しい日本語にアレンジ!
ただ、" 見送られている" は進行形ですね。ですから、
who are saying good-bye to~ にしましょう。
そして、「~もいる」大事な箇所が抜けているね。皆、分かるかい? そう、「~も」がないね。どう表現しよう?
では、構文を思いだそう。
Some ~, others ・・・ ~もいれば、(また)・・・もいるこれを利用しよう。
There are some women who are saying good-bye to ~
"家族親戚一同" ここは本当に文化の違いがあるから、間違っても仕方がないね。
relativesは日本語の「親戚」に対応する語ではなく、「親族」に対応しており、「家族」は当然 relativesに含まれますから
all of her relatives
私の添削語のA君の英作
There are some women who are saying good-bye to all of her relatives.
この文から英語の持つ、日本語に劣らない多様な表現が分かってきますよ。
「奈良にはお寺が沢山あります」
この文を英作してみよう。
多くの日本人は恐らくThere are many temples in Nara. と英作するでしょう。
英語人は恐らく、Nara has many temples. もっと多くの表現が英語にはあります。We find many temples in Nara.
etc.
さて、「家族親戚一同に見送られている女もいる」
この文を読むと、私は過去に、国際空港にたどり着き、そこで見るシーンを思い出すんだ。
過去を引きずり、不安な気持ちで出発までの時間を過ごしている人たち、夢を求め、新しい国へと旅立っていく人たち、家族に見送られ旅立つ人たち。その様な風景が、心に描かれたり、想像したりしてくるんだよ。
そうすると、大事な構文を思い出したよ。ほら、5文型
see O C (~ing)
OとCの間にはS - Vの関係が生じる、文法では最も大切な構文。
また、この構文を使うと、see は
(Oが~していると)心に描く、想像する、思う(image)という意味になるんだ。英語にも日本文では表せない表現方法があるんだよね。従って、
You see some women being seen off by ~.
S V O C
O-Cの間にはS -Vの関係が生じるから
(Some women are being seen off)
舟本の20年近くnativeさんと一緒に英作の授業を担当し、私の体験談も加味して出来上がった、私の考えた英作です
You see some women being seen off by all her relatives .
2023年12月24日
第三文:町の喧騒や、人いきれや食べ物のにおいと、どこまでもかけ離れている。
A君の英作
At that place, I am far from the hustle and bustle of the big city or crowds of
people or smells of food.
Bさんの訳
その場所では、私はその大都市の(the hustle and bustle?)あるいは人々の群、あるいは食べ物のにおいから、遠く離れている。
A君の英作の簡単な間違いから指摘しましょう。
At that place, 問題文に "そこでは" を入れ、わかりやすい日本文にしましたね。しかし、一点を表す At ではなく(飛行場の "中" では)ですので、In
that airport, に。あるいはthere。
I amは、一般論のyou are が better。
noiseはいろいろな騒音があるので noises。
the big city、どこの町? 限定してはダメででしたね。
big cities。
far away はよくできましたね。でも問題文は、"どこまでもかけ離れている" ですので、 quite (completely) far away
fromの方がbetter。
私の添削後のA君の英作
In that place, you are completely far away from the hustle and bustle of big cities
or crowds of people or smells of food.
まず、主語を何にするか?
A君は、I (私・人間)にしました。
私達日本人は、人間を主語にした方が英作し易いですよね。
しかし、英語を母国語にしている人たち "英語人"* なら、
*(私の知り合いの、日本を代表する言語学者の一人、浦上先生が、以前アルカディアの保護者を対象にした講演会で、
「私の息子がある時、英語を母国語とするNative Speaker の事を "英語人" と呼んだことがありました。素晴らしいアイディアだと思い、私はそれから "
英語人"と言っております((^_^))」と言われました。
私も今後、英語人と呼ばせて頂きます。
恐らく、飛行場the airport, the place あるいは it を主語にして書き始めると思うよ。するとIn that place、あるいは
Thereは必要なくなるよね。
英語は、" The shorter, the better." つまり、" 短ければ、短いほど良い文"。 ここから、英語の文章には "省略"
が多いと言うことが分かってくるでしょう。
皆、"喧騒"、 "人いきれ" という単語に悩まされましたね。
これが入試なら、この文は恐らく得点にはならなかったでしょう。
A君は、国語辞典を引き、喧騒 "けんそう" とは、「そうぞうしく、うるさいこと」。今度は和英辞典を引き、the hustle and
bustleと書きました。しかしそんな単語思い浮かばないよね。そう、簡単にnoises で良いよ。
同様に、人いきれとは、「人が多く集まったときに、からだから出る熱気や湿気で、むんむんすること」crowds of people と書いたけど、後ろに
"~や食べ物のにおい" があるので、一緒にしてthe smell of people or food が better 。
「どこまでもかけ離れている」
私の体験から、異国の飛行場で過ごす時間は、日常とは "完全に切り離されている" という感じがするんだ。
The place is completely separated from ~などと書きたいね。
今回の第三文から、日本語と英語の大きな文化の違いを垣間見たような気がします。
長文が読みにくい原因の一つに省略があるのは、英語には
The shorter , the better. (文章は、短ければ、短いほど良い)
という文化がある事。それ故、文を簡潔にするため、主語の設定がいかに大切かが理解出来たと思います。
いやぁ!日本語って本当に難しいね。それに、英語よりズーと表現力が豊富だね。
喧騒は単にnoise。 人いきれなんて、意味も分からなかったけど、英語では単に、smell 。
日本語の方が英語より表現力がズゥーと豊かだね!
そうかな?
各言語にはそれが持つ、いろいろな表現方法があるんだよ。その文化の違いを理解するのが、英語を学習する意味の一つ!
次回、第四文で英語は日本語とは異なる、いろいろな表現がある事を説明しましょうと思います。
舟本の20年近くnativeさんと一緒に英作の授業を担当し、私の体験談も加味して出来上がった、私の考えた英作です。
It is completely separated from the noises of big cities and the smell of people or
food.
2023年12月14日
「ひとりごと」と英作を交互に投稿していたら、極めて読みにくいとのご意見を頂きましたので、まず、英作を完結いたします。
舟本とchuckの英作4回目です。今回のテーマは「旅行」(Part 2)です。
文法・単語を文脈に沿って、理論的に解釈していくと、日本語と英語の微妙なニュアンスそして、お互いの "文化の違い" にも気付きますよ。
この点が本来、英語を学習する意味の一つだと思います。
第一文:異国の飛行場が好きだ。
まず日本文には "主語" がない文が多いこと
。
そして、冠詞。日本語には冠詞がありませんが、英語には絶対必要です。主語・冠詞の説明は以前致しましたので、今回は省きますね。
A君は、I like the foreign airport. と英作し、Bさんは当然“私はこの外国の飛行場が好きです”と訳したね。
外国とは自分の国とは違う“よその国”。異国とは、“自分の国とは言語、風俗、慣習が違う“よその国”。
日本語には名詞が豊富ですね。
では、その複雑な日本語を英語でどう表現したら良いのでしょうね。英語にもその違いを表す表現が恐らくあるはずです。
角度を変えて(文化の違い)考えてみると、この文には動詞 "like" がありますね。
私は、likeの代わりに "love" を使うことによって“外国”、と“異国”のニュアンスの違いが現れてくると思うんだ。
つまり、likeは飛行場という場所が好き。loveはその内容、つまり "雰囲気" "臭い" が好き、というイメージが沸いてくるんだ。
私が、love を使って "外国" と "異国" の違いをだそうと思いついた理由は、実は、私も、国際空港の待合室が大好きだと言う事からなのです。
今はほとんどの空港は禁煙だけど、以前は国際空港の待合室に入ると、タバコ、葉巻、香水の入り交じった、国際空港ならではの "雰囲気"
"臭い"。待っている間のショットバーでのくつろぎ。
さらに、そこでの何気なく、隣りに座ったいろいろな国から来ているforeignersとの些細な会話が“大好き”でした。 だから、love(大好き)を使って「異国」の雰囲気を伝えたいと思うんだ。
I love airports in foreign countries.
第二文:町からバスや鉄道で飛行場に到着すると、その場所がいかに非日常なのかがわかる。
「到着すると」
接続詞は何かな?“と”に当たる接続詞は英語にはないよね。日本語は接続詞の使い方が実に豊富だけど、“と”に当たる英語がないからA君はWhenを使い、Bさんは当然“時”と訳したね。
ふさわしい接続詞がない。では何とか著者の言いたいニュアンスを読者に伝える方法はないのだろうか?
その様なときは、接続詞を曖昧にする、分詞構文を使ってみるのも良いと思うよ。
Arriving at an airport ~, you ・・・
「その場所が、いかに非日常なのか」
英作で大切なことの一つは、難解な日本語の表現をいかに易しい日本語にアレンジするかということでしたね。
"その場所がいかに普通ではないのか" と考えて、
how unusual the place is.
ほら、こんなに簡単に書けるよね。
A君はおそらく、第三文の "かけ離れている"を参考に英作し、「私がいかに日常生活からかけ離れているか」と考え、
how far I am from daily life
と書いたのでしょうね。Passage 全体のイメージを思い浮かべながら一文一文を考えていく事が大切です。
出来れば自分自身の体験などを加味してね。
「~がわかる。」
A君は、わかる → 知る、と考え、I know にしました。
当然Bさんは、" ~を知ります。" と訳したね。
基本文法を確認!knowは進行形にはならなかったね。理由はknowは状態を表すからです。ここでの“わかる”は、文脈から、著者は何度も異国の飛行場に来ているみたいなので、“実感を伴って認識する”という意味。だからrealizeが適当。findは、“新たにわかる”なので不適当です。
第一文 第二文
20年近くnativeさんと一緒に英作の授業を担当し、私の体験談も加味して出来上がった、私の考えた英作です。
I love airports in foreign countries.
Arriving at an airport from the town by bus or train, you realize how far the place
is from everyday life.
2023年11月28日
舟本とchuckの英作4回目です。今回のテーマは「旅行」
今回は趣向を変え、「なぜ、英作を勉強するのか」について考えてみます。と言うのも、
「学校の先生から“私学志望の生徒は、入試に英作は出題されないから、英作は勉強する必要はない。”と言われ、学校では英作の勉強は一切していないのです。そうでしょうか?」
数人の生徒からこの様な問いかけがありました。
そもそも、この考え方自体が、間違っています。いやしくも英語の教師が言う言葉ではありませんよ。
これは「何故英語を勉強するのか」と言うテーマに本質的に関わっているのです。
そのことを今回は立証してみたいと思います。
私立大学が英作を出題しないようになったのは、全て私学側のご都合主義なのです。
数年前、東の早稲田、西の立命の入試志願者が10万人に達した時期がありました。10万人もの採点をどうしたらよいのか、記述式の問題ならば、合格発表日までに、採点はとても間に合いません。大手予備校の模試のように、大学生・院生のアルバイトを雇うわけにはいけませんからね。ですから、全て、マークシート方式に切り替えることにしたのです。
そう言えば、以前、「今年はこうなる、難関私大」というテレビ番組でご一緒した、立命館大学の入試担当部長さんが、「私の大学では、単語、語句すら全て記述式問題はなく、マーク方式なのです。」と言っておられました。
では、英作の問題を解きながら、「なぜ、英作を勉強するのか」この問題に取り組んでいこうと思います。
問題
「異国の飛行場が好きだ。町からバスや鉄道で飛行場に到着すると、その場所がいかに非日常なのかがわかる。町の喧騒や、人いきれや食べ物のにおいとどこまでもかけ離れている。手提げカバンを枕にして眠っている若い男や、家族親戚一同に見送られている女、不安げにガイドブックを広げている旅行者もいる。ここではないどこかへいくということが、いかに非日常であるかを感覚で知る。」
この問題は、大手予備校の京大模試の出題です。ものすごく難しく思うね。でも、いかに難しい英作と言えども、基礎文法さえ理論的に理解していれば、意外と簡単に英作出来るよ。
仮説
高校2年生の二学期、
A君がこの英作にチャレンジし、
Bさんが問題文の日本語を読まずに、A君の書いた英文を、日本文に訳すという試みをしてみます。
第一文、第二文
A君の英作
I like the foreign airport. When I get to the airport from town by a bus or by a
train, I know how far I am from daily life.
では、Bさんに、A君のこの英文を訳してもらいましょう。
Bさんの訳
私はこの外国の飛行場が好きです。バスや電車で町からこの飛行場に着く時、私は、日常生活からいかに遠くにいるかを知ります。
“異国の飛行場が好きだ”日本語には主語がない文が多いのです。英語の文は必ず、S-V が必要。英作文を書くに当たって重要な問題の一つに、“主語の選定”があります。
この文は、好きなのは“私”ですからA君のように、I が適切でしょう。しかし、第二文からの主語は一般論ですからYouの方がbetterかと思います。
では、A君の作った英作の簡単な間違いから指摘しましょう。
the foreign airport "the" を使ったら、飛行場は限定されてしまいます。どこの飛行場かな?
like, love などの目的語には普通名詞なら複数形を用いるので、foreign airportsに。
最後に、by a bus , by a train 交通手段を表す by の後にくる名詞は無冠詞。従って、まずは次の様に直せます。
I like foreign airports. When I get to an airport from a town by bus or by train, I
know how far I am from daily life.
では、次回は、今回のテーマ「なぜ、英作を勉強するのか」の本質に迫りながら、
1. A君の英文
2. 問題文の日本文と、BさんがA君の英文を訳した日本語との違いを考えてみます。
2023年11月17日
さて、今回のテーマ
「なぜ英語を勉強するのか」について考えてみましょう。
「言うまでもなく、受験に必要だからですよ。」
という答えがすぐ返ってくるようですね。
率直な、正しい答えだと思います。
しかし、英語は高校・大学に入るための、単なる手段でしかないのかな?
何故、高校受験・大学受験に英語が必要なのでしょうね。また、何故、「国・社・数・理・英」が主要5教科と言われているのでしょう。次々と疑問がわいてきますね。
人によっても答えは様々だろうし、完璧な答えなどないと思うけど、私の経験談から始めようかな。
私の“教育実習”の思い出から。
私は一度社会に出てから、4年後に立命館大学の二部(夜間部)に2年間通い、教師の免許を取得しました。その時、教育実習は、京都府立西京商業高校の定時制(夜間部)で受けました。
私が担当したクラスは、1クラス20名の生徒数で、15名は60才以上の男・女生徒、5名は16~17才の女子生徒。 何とも変わった組み合わせでしたが、高齢者の生徒は、いろいろな事情で、高校に進めなかった方々。
女子生徒は、看護婦さんになるのを目標に、病院で住み込みで働きながら、その代わり、病院が学費を負担し、夜間高校に通っている皆さん。
ある日、実習生の控え室に、私が担当していたクラスの5人の女子生徒が「先生ちょっとお話が」と言ってやってきたのですが、その話の内容とは、
「私達は・・・(前述の内容)。
私達、仕事が終わってクタクタになって学校に来るから、予習も復習もする時間なんてないんです。英語は難しいので、英語の単位だけが取れず、卒業出来なかった先輩も多くいるんです。中退し、高卒の資格を取れなければ、私達、中卒になるから、就職先もなく、田舎に帰るしかないのです。
英語さえなければ、高校を卒業し、看護学校に入学し、看護婦になれるのです。それなのになぜ英語を勉強しなければならないのでしょう。」
「いろんな先生に聞いても、“これからは国際社会になるのだから英語は必要になるんだ”とか“君たちは、新婚旅行でハワイに行くかもしれないんだ。その時、英語が話せないとね”とか“薬の名前は英語なんだから、英語が読めなければだめだよ”と言う答えしか返ってきませんでした。
これからも、私達は国際社会の中で生活するわけではないし、別に新婚旅行でハワイになんか行かないし、薬の名前も同じスペルのラベルを見たら区別出来るし。まず、高校を卒業しなければ看護婦になれないのです。それを英語の単位が取れない為に・・・。何故英語を勉強しなければならないのですか?」
困りましたね。
何か、英語を教えている私が悪いことでもしているかのように罪悪感を感じ、一瞬戸惑ってしまいました。
彼女達とは年齢が僅か10才程しか離れておらず、社会経験もほとんどなかった私が、どうしたら彼女達の真摯な問いかけに向き合ったら良かったのでしょうね。
当時、私が置かれていた環境を冷静に振り返って見ました。
私は、僅か三ヶ月の間に、2度に亘る手術を受け、その為、会社も解雇され、再就職もなく、田舎に戻り、投げやりな生活を送っていました。
いろいろ悩み、やっと、教師の道を選んだのです。この身体では教師になるのに、何年かかるか分からないけど、教員免許は取っておこうと決心し、私の条件を満たしてくれる大学を見つけ、教育実習までたどり着いたのです。
しかし、決して楽な道程ではありませんでした。
教育実習中、いつ病気が再発し、再度、激痛が襲ってきたら・・・と言う恐怖感。
さらに、手術の後遺症から、すぐに体中に大きなジンマシンが出来、それが、目、唇に広がったら、まるで“お岩さん”みたいな顔になるので、人前には出られませんでした。もし、実習中にそうなり、休校し、単位が取れなかったら・・・と言う不安感。
教育実習中、常に恐怖感と不安感に駆られていました。
このように、私自身も幸い(?)、恐怖感、不安感の入り交じる生活の中での彼女達との出会いでしたので、お互い通じるものが有り、何時しかお互い、打ち解け、リラックスしながらも、真剣に話し合えたのです。
「何故英語を勉強するのか」
その時、私が彼女達に話した内容は、
次回の「ひとりごと」で。
2023年11月11日
「エモい」の意味が分かりました。
「エモい」は、英語の形容詞 emotional(エモーショナル)を語源とする表現といえる。 (私の推測が当たりました。)
「エモい」とは、若者言葉であり、基本的には「感動的」「胸を打つ」「心にしみる」「趣深い」「琴線に触れる」というような、複雑で抽象的な感動を表現する。全面的にポジティブ(肯定的)な表現である。
古語の「あはれ」や「をかし」にも通じるものがある、「エモい」は現代の「あはれ」である、といった指摘もある。
2016年に三省堂が選ぶ「今年の新語」で「エモい」が第2位となった。
また、「エモい」のもう一つの語源は、1980年代のアメリカで広がったロックミュージックの一つのジャンルであるEmo(エモ、イーモウ)から派生した言葉と言われている。
(ここも何となく私の推測が当たりました。)
(インターネットより)
先日、本屋に行くと、「エモい日本史」「エモい世界史」というテーマの本が目に止まり、店員さんに聞いてみると、結構売れているそうです。
私達の(私のかな?)知らない間に、いろいろと新語が生まれているのですね。“言語は日々変化を遂げる”などと言われていますが、何かうなずけるような気がします。
以前、今の君達、若者には分からないと思うけど、"禁煙パイポ"、という喫煙家向けの大人の“おしゃぶり”、があって、そのコマーシャルに「君、タバコする?」と言うのがあったんだ。
当時、美しい日本語を汚す、下品な表現だと思っていたら、いつの間にか、「私今ね、真面目に主婦しているの」「今、女子大生しているのよ」と言う表現に、あまり違和感を感じなくなってしまいました。
“エモい”は何十年もしたら、どのように日本語としての評価を受けるのでしょうね。
今回はちょっと脱線した「ひとりごと」でした。
2023年10月31日
さあ、“舟本とChuckの英作“第3回です。今回のテーマは“読書”
「本好きにするには、本の楽しさを知らせる必要があります。一方的に母親が押しつけたのでは、いやになります。
まず一緒に本屋に行って、本を探すことから始めます。
次に、買ってきた本は、できれば子どもが「よんでくれ」と言ってくるまで、子どもの目につく場所ほっておくというくらいのゆとりが、母親には ほしいと思います。」
Take のChallenge
If you want a person to enjoy reading, you must tell book's joyfulness. If a mother
push some books one sided, her child hate them.
First, you should start to look for a book together in a bookstore. Next, I want you
to have room to put the book you bought on the place where their children can find
till they say "Please read it for me."
Chuck; Good start, Take. you must tell book's joyfulness?
O.K. There are some books. I tell book's joyfulness. I(S)tell(V)books(O)
ですね。これはおかしい。だから
Take ; you must tell ‘him’ book's joyfulness.
Chuck; Great, Take.~については?そう、about。you must tell 'him' 'about' books' joyfulness
book's ではなくbooks'
If a mother push some books one sided,
O.K. a mother のpronounは?
Take ; she あ!、'pushes' です。
Chuck; That's right. 'pushes' あるいは'mothers push'
常に代名詞と動詞の関係を頭に入れておくこと。
'one sided'? どう言う意味?
Take; 一方的に
Chuck; one sidedは副詞、one sidedは形容詞だから'one sidedly' かまたは 'in one sided way'
her child は単数だからher child 'hates' them
to have room? What do you mean?
舟本; ゆとりには“場所”のゆとりと“心”のゆとりがあるね。room は場所のゆとり
Chuck; Thank you. to have 'a relaxed mind' にchange.
on the place ? No, no, 'in' the place
舟本 ; place は場所ですね。on という前置詞の持つ意味は“接触”ですからおかしいのです。場所の中にと考えin。
Chuck; Thank you, Funamoto San, nice advice. children can find?
findの目的語がないよ。children can find 'it'
O.K. Nice finish, Take.
Chuck添削後の解答例
If you want a person to enjoy reading, you must tell him about books'
joyfulness.
If a mother pushes some books one sidedly, her child hates them.
First, you should start to look for a book together in a bookstore. Next, I want you
to have a relaxed mind to put the book you bought in the place where your children
can find it till they say "Please read it for me."
他の生徒の書いたchallengeをもっと挙げて欲しいと言う要望が何人かの方から頂きましたので、もう一人!
Mika のChallenge
If mothers make their children lovers of books, they need to show them how
interesting reading is. Even if mothers force their children to read a book, they
are unwilling to do.
First of all, they should go to a bookstore with their children and look for a book
together.
Next, they should calmly place the book they bought in a spot where their children
easily find it till they say, "Please read it".
Chuck; mothers 'make' their children? (無理に)させる?あるいはさせたい?
Mika ; させたい
Chuck; Sure, sure だから mothers 'want to make' their children
'make' and 'want to make' are very different meaning, very very different. O.K.?
how interesting reading is, very very good Mika, perfect. Nice English.
they are unwilling to do. Who is they ? mothers? children? I can’t understand.
unwilling to do? ここもおかしいchange!
Mika ; 'children' 'won't' be lovers of books
Chuck; Much better, much better.
calmly, very, very nice. I understand very well.
舟本; calmly は「そっと静かに置いておく」という意味ですね。Chuckも感心しています。きれいなfinishでした。
Chuck; Yes, very, very good finish.
Chuck添削後の解答例
If mothers want to make their children lovers of books, they need to show them how
interesting reading is. Even if mothers force their children to read a book,
children won't be lovers of books.
First of all, mothers should go to a bookstore with their children and look for a
book together.
Next, they should calmly place the book they bought in a spot where their children
easily find it till they say, "Please read it".
舟本のOne Point Advice
*「本好きにする」Mika, Kaz のように、make を使うと, 「無理に本好きにさせる」になってしまうのでwant to make
「本好きにさせたい」を使うこと。
「本好き」はMikaのようにbook lovers あるいはa person who loves books などでもいいよ。
*「本の楽しさを知らせる必要がある」
have to make them understand how interesting it is to read
need to show them how interesting reading is
need to tell him about books' joyfulness
*「一方的に押し付ける」は「無理やり~させる」にアレンジ!
try to force their children to read, forcefully insist children read
*第2文はどうしよう。このままだと難しいですね。では日本語をアレンジ!次のように二つの文に分けて考えたらとても簡単に英作できそうですよ。
「次に、買ってきた本は、できれば子どもが読んでくれと言ってくるまで、子どもの目に付く場所にほっておくべきです。」
「そのくらいゆったりとした心を持つことをお勧めします。」
あるいはMikaのように、「次に、子どもたちが読んでくれと言ってくるまで、子どもたちが容易に目に付く場所にそっと静かに置いておくべきです。」
舟本の解答例
If you want your children to be book lovers, you need to show them how interesting
it is to read. If mothers try to force them to read, they will certainly hate
reading.
First of all you should start by going to a bookshop with your children to look for
a book.
Next, you should leave the book you bought in a place where they can easily find
until they ask you to read it for them. I think you should handle the matter in such
a relaxed mind.
Chuckの解答例
For children to become book lovers, they must learn to appreciate how interesting
reading can be. If they are forced to read by their mothers, children will almost
certainly come to hate reading.
First, start by going to a bookstore to look for a book with your children Then
leave the book that you bought in a place where the children can easily find it and
wait until they ask you to read it to them. I recommend approaching this matter in
such a relaxed manner.
2023年10月25日
“英語はどうしたら得意になるのでしょうか?”
この質問を数名の生徒から頂きました。誰もが答えを知りたい(思っている、願っている)質問ですよね。
尋ねられた先生はきっとこう答えるでしょう。
“英語は単語を覚えさえすれば得意になるから、教科書を丸暗記するまで声を出して何度も読んだり、単語をノートに書いたりして覚えるんだ!”
私もこの様に教わったけど、果たしてそうかな?
第一、そんなことをしても何にも楽しくないよね。ますます英語の勉強が嫌いになるだけ!
でもさ、得意になるとはどういう意味なんだろう?
得意になるとは何か“ものさし”がいると思う。偏差値とか、定期試験の点数とか、英検何級とか・・・
何かおかしいと思わないかい?
本来英語に“ものさし”がいるかな?
真に問うべきは、“英語が得意かどうか”の前に
“なぜ英語を勉強するのだろう?”
と思うんだ。その質問に自分なりの答えを出したら、英語の勉強も楽しくなり、自ずと成績も上がってくると思うよ。
私は中学生・高校生時代、英語は全く得意ではなく、学校で習う英語は大嫌いでした(´・ω・`)!
では、何でこんな職業に就いているんだって?
答えはね、ある“きっかけ”で英語が僕を広い世界へと導いてくれたからからなんだよ。
私が、英語は得意ではないけど、大好きになった“きっかけ”はギターのお陰。(おかしいかい?)
中学生の時、同じクラスの友人にギターを習い、毎日勉強そっちのけでギターばかり弾いていたんだ。
そのお陰もあって、高校に入り、友人とフォークソング・バンドを結成。これが、私と英語との最初の出会いでした。
大事なことは、当時、フォークソングは全てアメリカ版のコピーだっと言う事。歌詞を覚え、その言わんとしている内容を表現しなければならなかった。歌詞の訳、文法、単語、何よりも、その歌を作った人が伝えたかった真の意味を表現しようとしているうちに英語が好きになっていったんだ。
今になって、なぜフォ-クソング歌手、ボブ・ディラン(“風に吹かれて”で有名)が、ノーベル文学賞を受賞したのが理解出来、私が歩んだ英語の道も、正しい方向へと向かっていったんだと確信しているよ。
それほどフォークソングの歌詞は“エモい”*んだ。
後に、大学で英米文学を専攻しようとしたのも、フォークソングの持つ、その“エモい”歌詞の影響を受けたからだと思っています。
*“エモい”。おじちゃん、おばちゃんには意味不明な単語だと思いますので、ちょっと説明。若者の間で、はやっている言葉。私もよく分からないけど、多分emotional(エモ)ーシャナル(感情的な、情緒的な)から来ていると思います。定かではありませんが。若者に聴いて下さい!
そして、歌詞を覚え、その真に伝える意味を理解しようとしているうちに、英語を楽しく、学べるようになったんだ。
そう、文法も学校で習っている“堅苦しい文法”と、歌詞の中の“エモい”文法とは全く違うように感じた。
この思いが後ほど、「基本文法だけで合格する10の回答術」の出版に繋がっていったんだよ。
ほんの一例を挙げると、皆、「花はどこへいったの」と言うフォークソングを知っているかい?
学校の音楽の教科書に出てきているかもね。
♬Where have all the flowers gone? Young girls have picked them ,everyone.♬
学校では、have gone, have picked
などは、ただ“完了”(してしまった)と訳せ、と教わったけど、歌詞の内容を考えると、どうもそれではぎごちない。おかしい。この歌を作った人(Peet
Seeger)は、次の様に訴えたかったのだろうね。
花はどこへ行ってしまったのだろう?みんな少女が摘んで行ってしまった(その“結果”)今、花はここにはないんだ。
同様に、
♬Where've all the soldiers gone? Gone to graveyards,
everyone.♬兵士は皆どこへ行ってしまったの?(戦争がやってきて、その“結果”)皆、戦死し、お墓の中へ、(その結果)今は誰もいなくなってしまった。
現在完了形の“完了”は“結果”に訳した方がその内容を正確に伝えており(大学入試もそうだよ)、過去と現在が繋がっている事が学校で習うよりも自然に理解出来たんだ。
この様に、自分なりに歌詞を解釈していくと、学校で習っている英語とは全く違う、ロマンチックな“エモい”英語の世界に入っていくように感じたんだよ。
しかも、実に実用的な、身につく英語の世界へね。
この歌は世界的に一番有名な反戦ソングで、ロシアの作家ミハイル・ショーロホフの大河小説『静かなドン』の一節に基づいている事も分かり、後に、辞書片手に、楽しく、その英語版を読み、ますます英語が好きになっていったんだ。
その後、反戦ソングの影響を受け、フリー・ルポライターとして、ベトナムに渡ったんだ。勿論その為には英語が流暢に話せなければならなかったし、政治に関する英字新聞もスラスラ読めなければならなかった。
この時初めて英語を必死に“勉強した”と思う!(^_^)
こうして、ギターから始まった私の英語への旅は、私を広い世界へ誘ってくれたんだよ。
ギターから、フォークソングへ、そして反戦運動等を通して、何人か世界史にも、日本史にも登場する偉大な人たちにもお会いできた。
世界史に登場するチャン・チン神父とは、ベトナムでお会いし、20分ほどお話を伺った時、“後光が差す”という言葉は本当に存在することが分かった。
日本史に登場する小田実さんとは何度かお会いし、いろいろ教えて頂いた。
代ゼミの講師をしていたお陰で、岡山でその道で世界的に知られる、日本一の“居合い”の達人、細尾先生にもふと出会い、その後、先生が他界なさるまで家族共々お世話になったんだ。
思い起こせば、英語がきっかけで、普通ならお会いできない偉大な方々に直接お会いし、多くを学んだ。
その後、私の英語の旅は、短期留学、公立学校教師、予備校講師、最後には独立し、アルカディア英語アカデミーへと移っていったのですが、今でも英語は好きですが、決して得意ではないと思う。
では次回は“なぜ英語を勉強するだろう”を皆で考えてみましょう。
2023年10月17日
さあ、“舟本とChuckの英作“第2回です。今回のテーマは人生。ChallengeはKazumasa一人にします。
問題
「竹に節目があるように、誕生から死に至るまでの人生にも、幾つかの節目がある。入学や就職などは誰にでも見える節目といえるだろう」
KazumasaのChallenge
Life has some turning points from birth until death like bamboos. To enter and to
find employment and a coming-of -age ceremony is a turning point which come to
anyone.
Chuck; 'bamboos?' O.K. Is bamboo countable or uncountable?
Kazumasa:Uncountable?
Chuck: O.K. Kazuhiro. Very good. Nice job.
'Life has some turning points from birth until death like bamboo'. O.K. Does bamboo
has turning points?
Kazumasa; ?
舟本 ; 我々の人生には「節目」(turning points) があるね。竹にあるのはturning point ではないよね。つまり?
Kazumasa; joints?
Chuck; Great, 'like bamboo has joints'.
'To enter' どこに?
Kazumasa;to enter 'school'
Chuck; Great to enter ‘school’, and 要らない。
舟本;A and B and Cとは言わないよ。3つ以上を挙げるときにはand は1回。あとは カンマ(,)にすること!A, B and C
Chuck: Nice advice. Thank you, Funamoto san.
'coming-of-age-ceremony'? 日本語ではなんというの?
Kazumasa; 成人式
Chuck; No, no, Kazumasa, 成人式は日本だけ、アメリカにはない。だから come-of-age
主語は、To enter school, to try to find employment, and to come-of age 沢山あるね。だから動詞は?
Kazumasa; are
Chuck; Great, 'To enter school, to try to find employment and to come-of-age are
turning points O.K. Kazumasa, great job.
Chuck添削後の解答例
Life has some turning points from birth until death like bamboo has joints. To enter
school, to find employment and to come-of -age are turning points which come to
anyone.
舟本のOne Point Advice
*「竹の節目」はjoints, 「人生の節目」はturning points 同じ日本語ですが注意!
*「竹に節目があるように人生にも節目がある」多くの人が「人生にも竹の節目がある」、すなわち「竹が人生の節目である」という意味の英作にしてしまいましたね。
Life has some turning points like bamboo(カズノリ, タケ)
We have turning points such as bamboo(カズ)
になってしまいますね。
We have turning points like (as) bamboo has joints
竹(bamboo)は不可算名詞
*「入学」はstart school entrance to school(タケ、カズ)enter college(カズヒロ、ミカ) 他にadmission to
school
*「就職」finding employment(カズヒロ)、 starting one's careerも良いでしょう。
*「成人」coming of age becoming adults(ミカ)growing up(カズ)
以上「入学」「就職」「成人」をミカのように
It is a turning point for everyone to enter schools, get jobs and become adults
のように、不定詞を使うのも良い英作でしょう。
*「誰にでも見える」実際に目に見えるものを指しているわけではないので、recognizeが良いでしょう。
舟本の解答例
One's life, from birth to death, has some turning points as bamboo has joints.
Everyone can recognize starting school, finding employment and coming of age as his
or her turning points.
Chuckの解答例
Just as bamboo has joints, so does the span of one's life, from birth to death,
have many turning points. Entering college, getting a job and coming of age are
turning points which most people can recognize.
2023年10月2日
では、今回は「舟本のひとりごと」に対するご意見・質問に対するお返事です。まずは中3生の女子生徒からの質問。
Aさん:「友達に言われて“舟本の・・・”を読みました。
アルカディアでは中学生は中高一貫の生徒しか入塾出来ないので、私は入塾出来ませんでした。
“舟本の・・・”の内容は、全てが学校では習わなかったことばかり!舟本先生はすごく賢いんでしょう?だから英語が得意なのですよね?
私はいくらやっても駄目です。悪い点ばかりとっています。英語が得意になる方法を教えて下さい。
舟本:A子さん、メール有り難う。
アルカディアはなぜ中高一貫の生徒しか募集しないかと言いますと、公立中学校の生徒は高校入試があるからです。国・社・数・理・英の5教科は教えられないので、専門の小・中の塾にお任せしております。ご免なさいね。
では、A子さんの質問にお答えします。
まず、私は、決して賢くなんかありませんよ。
そう言えば、以前、ある日突然数名の塾生から「先生って、バリ賢いんだね!」「メッチャ賢いんだね!」などと言われ、最初はThank
you.などと言ってかわしていましたが、さすがに何人もの塾生から言われると、何か気持ち悪くなったので、「なんで急にそんなこと言うんだい」と尋ねると、
「この前テレビでさ、○○塾の、元○○族の有名講師が“大手予備校の講師は、東大・京大を受験する生徒を教えているから、受験生以上賢くないと駄目なんだ。俺は、日本で最も難しい○○塾の採用試験で一番で合格したんだ。”と言っていたよ。先生は4つも大手予備校の採用試験に合格したのだから、メッチャ賢いんでしょう?」
いやいや、元○○族の講師を看板講師にする○○塾も落ちたものですね。
実は、私はただの一度も大手予備校の講師採用試験は受けたことはないんだよ。もし私が日本で最も難しい大手予備校の採用試験を受けたら必ずや、1番で落っこちたでしょうね。
いや、ほんと(^_^)!
予備校講師になれたのは、まず、ある河合塾の先生の紹介で、同時に2つの予備校講師になったのが始まり。
京都Y.M.C.A.予備校と河合塾でした。
その後、“講師の代ゼミ”と言われた代々木ゼミナールから“代ゼミ一本にしてウチに来て欲しい”と声がかかったんだけど、不安で一杯でした。生徒のアンケートが悪いと、1回の授業でクビになるとまで言われていた予備校だったからね。 “何とかなるさ”、と言う気持ちで移って行ったんだ。
次に、マドンナ先生達から“東進で一緒にやりましょう”と言われ、東進ハイスクールへ。
でもね、今でも代ゼミを辞めたのは後悔しているんだ。
過去を振り返れば、ただの一度も採用試験など受けておらず、全部紹介だね。ほら、決して賢くなんかないでしょう!
ただただ“運”が良かっただけなんだよ(^_^)!
次の質問に答えますね。
“英語が得意になる方法を教えて下さい。”
A子さんのみならず、この質問が一番多かったようです。
A子さん!何も、あわてて得意になろうとしなくてもいいんじゃないかな。
まず英語を“好きになる”事から始めたらどうでしょう。
英語を好きになる“きっかけ”を作りさえしたら良いと思いますよ。
例えばさ、ある有名なユークリッド幾何学の学者が次の様に言っていましたよ。
「僕は、まだ幼い頃、"geometry"(幾何学)は大変面白いと思っていた。
ある時、学校の先生に“幾何学は何のためにあるのですか?”と聞いた時、それで得た唯一の答えは「幾何学とは、生徒に問題の解き方を教えるものだよ」と言うものだった。それ以来、幾何学に対する興味を殆ど無くしてしまった。
ところが、後になって、次の事実を知った時、幾何学が僕にわくわくするようなロマンスを与えてくれたんだ。
geometry(幾何学)とはギリシャ語のge(日本語で"大地")、とmetron(日本語で"物差し・測定")つまり“大地を測定する”と言う語源から来ている。
学校で勉強せよと言われた、無意味とも思える三角形が、地質調査や天文学や航海術の基礎を担っている事が分かったんだ。するといつの間にか、僕はユークリッド幾何学への、ロマンスの世界へと旅び立ったんだ。」
この話は、ちょっと“むず”かったかな?では分かり易いように、次回、ちょっと(かなりかな)恥ずかしいけど私自身の経験談を話しますね。
次回へ続く
2023年9月22日
アルカディアで、過去に行われた英作授業の実況中継です。これは、出版しようと一年間の授業をビデオに収め、さあ、出版と言うときに資金が足りなくなり、以後そのままです。どなたかカンパして下さい(^_^)。
言語(その1)
「私たちは私たちの生活にとっての言語の重要性についてあまり考えない。その一つの理由は、言語を使うということがほとんどの人にとっては非常に簡単なことであるからである。」
(1)Natsuko のChallenge(黒板)
「We don't think very much importance for our life. The one reason, using language is
very easy for almost people.」
Chuck; Very good Natsuko. What do you mean 'importance' ? importance of food?
Natsuko; (importance of) language
Chuck; That's right. Maybe, “We don't think about the importance of language in our
life”is much better.
'The one reason'? Strange, One reason. But there is no verb.
Natsuko; (One reason) is
Chuck; That's right. One reason is that 'almost people'?
You can say, 'most people' or 'almost all the people'.
But you can’t say 'almost people'. O.K.?
舟本 ; みんなよく間違えるよね。
almost は 副詞
almost people がおかしいのは副詞(almost)は名詞 (people)を修飾できないから。だから必ず almost
の後には形容詞(all)+名詞(people)が来なければいけませんよ。
Chuck; Thank you Funamoto San. Nice advice, thank you.
Chuck添削後の英作
「We don't think about the importance of language in our life very much. One reason
is that using language is very easy for almost all the people.」
(ほら、こんなにきれいな英作に変わるでしょう!)
(2)Kazuhiro のChallenge(黒板)
「We don't think about importance of language for our lives very much. One reason
that it is very easy for most people to use a language.」
Chuck; Very good Kazuhiro. 'We don't think about importance'?
Kazuhiro; the (importance)
Chuck; Very good, the importance. 'for our lives'?
Maybe, 'in our lives'.
Again, there is no verb for 'One reason'
Kazuhiro; (One reason) is (that)
Chuck; That's right. 'to use a language' You don't need 'a' . to use language. O.K.
very good, Kazuhiro.
Chuck添削後の英作
「We don't think about the importance of language in our lives very much. One reason
is that it is very easy for most people to use language.」
あと、3名のChallengeがありますが、出版されたらそちらを見てね (´・ω・`)! 企業秘密?
舟本のOne Point Advice
「~ついて考える」think about 何故か真中にvery much が入っただけでKaz, Natsuko もabout を忘れてしまいました。
「言語の重要性」the importance of language (Natsuko), あるいは how important language
is(Kaz)
languageは抽象的な言語の場合、languageと冠詞はつきません。国語の場合は当然数えられますからa
languageと冠詞はつきます。「生活にとっての」生活の中のと考えよう、in our life (lives)
「その一つの理由は~である」One reason is that
Kazのように、One of ~を使いたいならば必ずOne of the 'reasons' と複数形を使うこと。
さあ、毎回問題になりますね。almostは副詞です 。almostの後には必ずallかeveryの形容詞をおくこと。
almost people (副詞+名詞)はありえないのです。
舟本の解答例
「We don't think about the importance of language in our lives very much. One reason
for this may be that it is very simple to use it for most of us.」
Chuckの解答例
We give little thought to the importance of language in our lives. One reason for
this may be that language is very simple to use for most of us.
2023年9月19日
おまちどおさま!やっと高校生向き英作に入れます。
英作はポイント・ゲッターなのですよ。正しく勉強したらいくらでも伸びるのです。自分の好きなように表現すればいいのです。ただし・・・
自由に表現する前に、原則は守りましょう。英作の原則とは次の三点です。
☆ 主語を決めよ!
例文1
「宿に着いた時はすっかり暗くなっていた。6時を過ぎていたのに違いない。」
例文1のように、“日本文には主語がない”、あるいは“省略されている”文が多いのです。
まず、“宿に着いた”のは誰でしょうか。そうですね、私、あるいは私たちです。ですから、“私たちが、(私が)宿に着いた時は”と考え、
When we ( I ) arrived at the inn,
“すっかり暗くなっていた”この節の主語は?
天候、時間、距離、そして明暗の文の主語には非人称の it を使うのでしたね。
it became quite dark.
同様に“6時を過ぎていた”の主語は、時間を表す It
従って例文1を“主語に注意して訳す”と次のようになります。
When we ( I ) arrived at the inn, it became quite dark. It must have been past
six.
☆ 構文を利用せよ!
例文2
「いくら本を読んでも、自分で考えようとしなければ駄目だ。」
文法で構文を習いましたね。構文は大いに利用しましょう。
覆水盆に返らず(こぼれてしまったミルクに泣き叫んでも駄目だ)英語では、
It's no use crying over spilt milk. でしたね。つまり、
It's no use ~ing という構文は ~しても駄目だ、~しても無駄だ という意味。
“ミルクに泣き叫んでも(crying over spilt milk)” の代わりに “いくら(沢山の)本を読んでも”を入れてみましょう。
It's no use reading many books
ほら、こんなに簡単に英作出来るでしょう。入試問題の英作も構文を狙ったものが非常に多いわけですから、構文を見抜き、単語を置き換えていけば模範解答にもなるほどの英作が完成します。
It's no use reading many books unless you think by yourself.
☆ 日本文をアレンジせよ!
例文3
「新幹線の建設のため家の前の谷が埋め立てられることになった時、後ろ髪を引かれる思いで東京へ引っ越した。」
“後ろ髪を引かれる思いで”なんて英語でどう表現しよう? 難しい英作になればなるほどこのような問題が起こってきますね。まさか、pull my back hair
なんて書けませんよね。そのような時は英語に直しやすいように日本語をアレンジするのです。
“後ろ髪を引かれる思いで”とは“あたかも心を後に残すように感じる”ということですよね。忘れ物をするはleave something behind
これを使いましょう。
as if I felt my heart behind
あるいは思い切って“いやいやながら~する”be reluctant to ~でも日本語としては通じますよね。
When it was decided that the valley in front of my house should be filled for the
construction of the Shinkansen Line, I had to move to Tokyo feeling as if I left my
heart behind.
以上3点をしっかり頭に入れたうえで、最後に基本文法に十分注意して思う存分、自由に書いて見て下さい。
次回からアルカディアの英作の授業を実況中継します。Nativeの先生はChuck先生です。
それと、今までの投稿に対していろいろ質問、ご意見を頂きましたので交互に質問、ご意見にお答えします。
2023年9月13日
部活動を担当しようと思っている後輩教師に送る(その2)
2年後の新人戦!
団体戦優勝、
個人戦1,2,3位独占
という偉業を成し遂げ、最強のチームが出来上がった。
そして、3年目を迎えた。
同じ勢いで全市大会、府下大会を制し、近畿大会へ!
私が初めは憧れていた、決勝の監督のベンチ。しかも今まで京都府の監督の誰一人座ることが出来なかった、近畿大会決勝の監督のベンチに自分が座っていた。
チエンジコートの度にアドバイスを求め、選手が来る。
☆ゲ-ムを取ったときは褒めず、まずいプレーを指摘せよ!
落とした時はしからず、よいプレーを褒めよ!
決勝戦!相手は大阪の強豪校!
一番手は勝った。二番手はゲームカウント3-3であと1ゲーム取れば団体優勝!近畿大会最後に、二人の選手に送ったアドバイスを50年後の今でもはっきり覚えている。我がチームのモット-だった合い言葉だ。
「勝たなくても良い、負けるな!」
もうあと1ゲーム。最後だから楽しんでプレーしてこい
ファイナルゲ-ム!最後の一球で教え込んだロブがきれいに決まり、京都府初の団体戦優勝を勝ち取った。
テニスのことなど何も知らなかった私が、何時しか、近畿大会で、京都初の団体戦優勝、個人戦準優勝の監督となった。
その後、京都府の強化部長に任命され、(京阪神)三都市大会の監督を命じられ、ウチの部員を中心にオール京都を結成し、2年間、連続優勝を果たした。私も部員達のお陰で大きく成長した。
教育とは、部活動とは
(生徒に)教え、(生徒を)育てていくこと
同時に
(生徒から)教わり、(教師も)育ち、成長していくもの
先生と呼ばれている方々、あるいは部活動の顧問の方々へ、このシリーズ“部活動は地域活動に移すべきだ”の私からの最後のアドバイスです。
☆先生が生徒に(勉強を)“教えてあげている”とか、顧問が部員に(部活動を)“見てあげている”などと、決して思ってはいけない。生徒達、部員達のお陰で自らも成長していくのだから!
その後、私が厳しい大手予備校で生き残り、今あるのも、当時、近畿制覇を勝ち得た生徒諸君とのぶつかり合いの中で育てられたものと、心から感謝しています。部員達とは今でも深くつながっており、来る9月9日あれから約50年後、再度同窓会を開きます。
学校での部活動だからなし得ることで、地域活動に移行しては恐らくなし得ない財産です。
このような素晴らしい部活動を地域活動に移しても良いのでしょうか?
教師にとっても、生徒にとっても!
次回からは大学入試の英作に話題が移ります。
2023年9月7日
部活動を担当しようと思っている後輩教師に送る(その1)
今回の投稿は、私の部活動の思い出です。前回申し上げました通り、決して自慢話ではなく、部活動顧問は誰にでも出来、先生にとっても生徒にとっても人生のかけがいのない財産になることを知って頂き、このような人生の財産を失っても良いのか考えて欲しい、という願いから書いております。
☆印は特に大切なことなので、しっかり、覚えておくこと!
初めて正教諭として赴任した当日、校長室に呼ばれ、新設のテニス部の顧問を依頼された。
練習の初日、生まれて初めてテニスのラケットを握り、部員に打ってもらったボールを何と空振り!部員達は皆大笑い。笑いながら「先生、それグリップが悪いの」など、いろいろ教えてもらい、一週間が過ぎた。授業中は先生にくってかかる生徒達も、部活の時は、顧問の私に優しく教えてくれた。
私は顧問になったことを機会に、夜、テニスクラブに通い、一生懸命練習した。これが部活動との、そしてテニスとの出会いだった。
☆顧問は何も専門家でなくても良い。
楽譜が読めなくても、ラケットの握り方が分からなくとも、部員から学びながら、共に成長すれば良い。
2年後、新しい学校に赴任し、テニス部男・女両方の顧問となった。部員達は喜んで私を迎えてくれた。
すぐに春期大会が始まり、前監督の指導のお陰で、団体戦は2回戦まで進んだ。私は、決勝まで試合を見学するよう最後まで部員達を残した。
☆良い試合を見学させよ!
決勝戦を見学し、チエンジ・コ-トの度、選手は監督にアドバイスを訊きに行くのだが、私には、必ず決勝に残る監督の堂々とした姿が何と眩しく見えたことか!そして、厳しい練習に耐え、決勝まで勝ち進み、チームが一丸となり、監督に言われた通りプレ-する選手達の生き生きした姿は、今でも心に焼き付いている。どうしたらこのようなチ-ムに育てることが出来るのだろうか。
☆いい所はマネすれば良い。それが新人の特権だ!
私が考えた結論は、“京都市で一番強い学校に練習試合を申し込むこと”だった。強いチームの監督は、市の強化部長をしているためか、練習試合は気持ちよく引き受けてくれた。
ウオーミングアップ、練習試合そして、・・・・・・
余りの実力の違いに相手はビックリ!試合にはならず、呆れかえった監督は、「舟本君。一緒に練習しないか?」「はい、お願いします」しめた!強いチームの練習法をマネし、次の2週間はそれを自分なりにアレンジし、猛練習!
☆強いチームの練習に参加させて頂き、その練習法をマネよ!同時に強豪チ-ムの練習の厳しさを選手に分からせよ!
2週間、猛練習を繰り返し、次に、二番目に強いチームに練習試合を申し込む。そこで得た新しい練習方法を取り入れ、また猛練習。同じ事を次々と繰り返した。部員達も何時しか私についてくるようになった。しかし、男子は3名となり男子は廃部。女子テニス部のみとなった。そして2年が過ぎ去った。幸運なことに保護者の方々は皆、全てを私に一任してくださり、全面的に協力してくださった。 (次回に続く)
2023年8月12日
“部活動は社会・地域活動にすべきだ”、に関して、公立学校で部活動を見させて頂き、退職した私の結論です。
☆“教師の自覚と良心に任すしかない”
しかし、残念ながら、もう進む道は見えています。
今日(8月8日)の朝日新聞には、ついに、全国中学校体育大会は本年度から、学校外の地域スポーツクラブが参加出来るようになった、と書かれていた。
私は予言者ではないが、こうならないように危惧し、わざわざ「ひとりごと」でこれまで述べてきたことが、書き終えないうちに、もう現実のものとなってしまった。現実を直視すれば、未来ははっきり見えてくるのに。
今後、学外のクラブは勝利至上主義に走って行くでしょう。どんな問題が起こってくるか目に見えてきませんか?
勉強は学校ではなく、塾にしてもらう!
部活動指導は先生ではなく、外部の者に見てもらう!
では、そもそも
☆公立学校とは何なんだろう?
経済的に困窮する家庭の子供達や、不登校の子供達のために無料で勉強を教える塾が全国的に増えているという。教師達がただ“忙しい・・・、忙しい・・・”とぼやいているうちに、勉強は完全に塾に移ってしまったようですね。
今や、公立学校が学校で有り続ける最後の砦は、部活動しかないと思います。
話を続けたいのですが、「舟本のひとりごと」を読んで頂き、いろいろ意見を頂きました。その中で、“給特法を勉強したいので、もう少し教えて欲しい”“給特法と、部活動は社会教育に移すべきだ、その関係が分かりにくい”とのご意見がありましたので、簡単に復習してみたいと思います。
給特法とは1972年に施行され、それは教師を“聖職者”から“労働者”の立場へと変えた、組合が勝ち得た、日本教育界の歴史的、革新的な法律でした。勤務時間を8時間と定め、それ以後の時間は、自由に、部活動等で生徒と接する時間に充てる、と言うのが組合側の主旨だったのです。
ところが今やその給特法が悪の代名詞になってしまいました。
「借りた金を、なし崩しにする」
と言う真の意味は、「既成事実を重ねて、初めの約束をいつのまにかご破算にすること」であるらしい。
文部省、文科省が半世紀をかけ、ある目的、つまり、“組合潰し”に向かい、着実に行ってきたのが今日の給特法なのです。教師を多忙に追い込んだ既成事実とは、
・学力の向上を名目にした週末テスト。その出題と採点!
・教育委員会が主催する、研修会!
・支援担当訪問という名目の授業研修!
・校内研修!etc.
(少しずつ、教師を多忙に追い込んでいったが、実にばかげた時間つぶしばかりですね。なぜ、組合は拒否出来なかったのでしょう。)
少しずつこのようなジャブをいれ、組合が弱まった時期を見計らい、強力なアッパーカットを打ち込み、“給特法”を完全なまでに改悪してしまったのです。2020年、文部科学省により、大幅に改悪された内容とは、
基本給を4%上げる代わりに、“働かせ放題”!
その結果、教師は“忙しい・・・”“忙しい・・・”と言い、最終的に、部活動は社会・地域活動にすべきだ、という逃げ道を選んだのでしょう。
なぜ、誰が、本来の教育の現場に今日のような事態を招き入れたのでしょうか。
まず、教師志望者の減少、教師の多忙、このような事態になるのは少し考えれば分かったはずなのに、新しい給特法を強引に進めてきた無能な、現場を何一つ理解出来ていない
1.文科省!
闘う世代(Fighting Generation)のリーダー達が去った後、何も出来ないでいる、闘わざる世代(Non Fighting Generation)の
2.教師達!
私も嫌と言うほど遭遇したが、何かあれば理論も何もなく、ただ感情にまかせ、学校、教師に怒鳴り込んでくる
3.モンスター・ペアレント
この“三位一体”が今日のような事態を招き入れたのです。
最後に、Shakespeare の Romeo & Juliet の最終シーン、エスカラス大公の言葉を借り、これまでの私のまとめとします。
All were punished! All were punished!
次回は、やっと本来のテーマに移れますが、私の体験から、
☆部活動指導は誰にでも出来る!
決して私の自慢話ではなく、このような現状の元、まだ、部活動を担当したいと思っている、良心的な後輩教師諸君の役に立つよう、そして、真の教育とは何かを問う、私から送る“遺言書”とでも思って読んでください。
2023年7月15日
今回は②に関して、私の意見を述べます。
②もまた部活動を見たくないという教師の欺瞞でしょう。 誰でも部活動は見れるのです。
勿論、甲子園、春の高校バレー、あわよくばオリンピックを目指す私学の部活顧問、コーチともなれば、話は別です。
仮に素人の私が、顧問になりたいと、いくら頭を下げても絶対に任せていただけないでしょう。
コーチと聞くと皆さん、そのようなコーチを連想してしまうから真実は見えてこないのです。殆どの、国公立の小・中・高校において、そのようなセミプロ的なコーチは必要ないのです。
では、公立学校の部活動における顧問、コーチとは?
4月27日「朝日新聞」13版の半ページにも渡り、ある先生の事が掲載されており、私は昔の自分を見たような気がして共感しました。是非、今日の先生方に読んで欲しい内容でした。記事を簡単に要約すると、
中嶋恭子先生。福岡県県立学校の数学の教師。
校長の依頼で吹奏楽部の顧問に就いたものの、「4拍子もわからない先生でした」と、当時の部長は懐かしむ。しかし、指揮の振り方や、楽譜の見方など、詳しい“部員達(生徒達)”が基本的なことを“先生”に教えた。
新しい曲は指揮が不慣れで、部員とうまくかみ合わないこともあったが、それでも教室で一人で動画を見ながら、大きな身振りで指揮棒を振り練習していた。そんな先生の姿を見、生徒達は一緒に頑張りたいと思った。先生と言うより、家族や仲間のような存在となり、その一体感のもと、部員も、先生も技術を高め、20年足らずで、全国大会に出場するようになった。
前年に続き全日本吹奏楽部コンクールへの出場を決めたが、本番の2日前、宿泊先のホテルでたおれ、1,2時間の治療を受けたが、「大丈夫だから」と部員達に言い、翌日は舞台に立ち、指揮棒を振り、2年連続銀賞を受賞した。
残念ながら一週間後、自宅で息を引き取った。市内の葬儀場で営まれた告別式には生徒、卒業生、保護者、400人が集まり、部員達は、涙で震えながら、ワーグナーの「エルザの大聖堂への行列」を演奏し先生を見送った・・・・。
というもの。
「・・・・、息を引き取った」、その前までは、私も同じ体験をさせて頂きました。
後述しますが、テニスのラケットすら持ったことすらない“全くのど素人”の私が、テニス部(当時はソフトテニスのみ)の顧問になって欲しいと校長から頼まれ、部員達(生徒達)にラケットの持ち方から教えてもらい、部員に励まされながら、私自身も成長し、5年後、近畿大会を制覇し、京都府で初めて全国大会に出場し、京都市テニス協会中学校部の強化部長にまでなった時の話です。
その種目の経験が全く無くても、部活動は見れるのです
なぜ、朝日新聞はこの時期に、中嶋先生の事を半ページにも渡り、大々的に取り上げたのでしょう。この記事を掲載した西岡矩毅記者は、決して、お涙頂戴の物語としてではなく、部活動の真のあり方を、“忙しい・・・”と、ただ“ぼやいている”今の先生方へ警鐘を鳴らしたのだと信じます。
中嶋先生のような顧問(コーチ)は今もまだ、きっと少なからずおられると思います。では、なぜそのような先生は話題にのらず、部活は社会活動に、と言う意見が“教師は忙しい”という意見に後押しされ、話題をさらっているのでしょうか。
次回は、ここまでの“教師は忙しいから・・・”“コーチがいないから・・・”に関してのここまでの結論として、私なりの意見を述べたく思います。
2023年7月5日
“部活は社会・地域活動にすべきだ”その理由は?
①“教師は忙しいので、部活など見ていられない”
②“コーチがいない”
今回は①について“歴史の一証人”としての私の意見を述べさせていただきます。
結論から先に述べますと、これは常に都合の良い教師の“戯言”。つまり、欺瞞です。
後輩教師諸君! 仮に、もし忙しくなかったら、部活を見ますか? 答えは明らかにNo.でしょう。
私が教師を辞めようとした大きな理由の一つは、給特法が施行されて数年後の夏休みを前にしたある職員会議でした。
当時私は前年、軟式テニスで、近畿を制覇し、京都府初、全国大会へと勝ち進んだ近畿界で有名なってしまった“鬼監督”でした。(後に説明)前年は、全国大会まで夏休みは一日も休むことなく猛練習!
年度が変わり、近畿大会連覇を目指し、毎日、新チームの練習に励んでいました。そして、夏休み前の職員会議。
A教師:「“教育的見地に立って言えば”、夏休みは生徒を親に返すべき時であって、部活動で強制的に学校に来させる時では無いと思います。勿論、勝ち進んでいる部は顧問が付いていれば認めてあげても良いとは思いますが。」
B教師:「賛成です。では夏休み、最初の一週間と、後ろの一週間は顧問がいなくても、教師全員で当番制にして認めてあげましょう。」
多数決の結果、反対意見(つまり夏休みは部活動をするべきだ)は私を含め、僅か3名!!
その原案が通り、夏休み中は、本来、生徒の為のグランド、体育館が閉ざされ、一部の生徒しか入れなくなってしまった。
その結果、夏休みの間、教師が登校しなければならない日数は、下記僅か4日!
当直当番 1日、
プール指導 2日
部活動指導 1日
合 計 4日!
後は適当に“英語自宅研修”などと書き、書類を提出するだけで36日間、全てお休み!(勿論、困難校等は別でしたが)
勤務時間を定め、勤務終了後は、自発的に生徒達と接する時間を作ろう、(例えば、部活指導、補習、相談事・・・)が給特法の本来の目的だったはず。
しかし、当時、熱心に部活指導をしている教師は少なく、多くの教師は、顧問とは名ばかりで、試合の時だけ顔を出す程度のものでした。
必死で文部省と闘い勝ち得た給特法が、それとは裏腹に16時30分ともなると、多くの教師はさっさと帰宅し、職員室はガラーンとなりました。そしてそれを世間に納得させる戯言、つまり欺瞞としての台詞が
“教育的見地に立って言えば・・・・”
それが今の
“忙しいから・・・・”
に表現が変わっただけだと思います。マスコミも挙って、先生は忙しい、とまくし立てる。
部活に限らず、あらゆる点でやる気の無い教師集団。
“朱に染まれば赤くなる”
これが、教師を辞めようと決心した最初の出来事でした。
50年前の現場を知らない方には、何かと反論はおありかと思いますが、上記は私の体験談として述べた「ひとりごと」です。
次回は②に関しての私の私見を・・・
2023年6月28日
2月23日の「舟本のひとりごと」の最後に、
“次回は解説と、今問題になっている、「部活動は社会(地域)活動にすべきだ」についての私の考えを述べてみます。”
と書きっぱなしでしたので、今回は「部活動は社会(地域)活動にすべきだ」について一言。
この問題と向き合うためには、「給特法」について、正確な知識を持っていなければなりません。
「給特法」とは主に、教師の給与(+勤務条件)に関する特別措置法で、1972年に施行され、
“教師には給食指導、掃除指導、また、授業時間外の空き時間に何が起こるか分からないので、休息時間、休憩時間が取れない。それ故、その時間を繰り上げし、学内にいる勤務時間を8時間とする”
と言う内容だ。
つまり、8時30分に職員朝礼が始まると、16時30分に勤務終了となります。この調印は全国各学校の校長と、各学校の組合委員長(分会長)に任され、文部省と日教組が取り決めた原案を各学校の実情に合わせ、全教職員(組合員・非組合員)の前で双方、捺印し、その日から施行されるというものでした。
私は2校で分会長を務めたため、2度、給特法に調印しました。従って私は、
歴史の“生き証人”の一人
として事実を知ってもらいたいと思います。
給特法に調印した全国の小・中・高校の分会長の中で、私がほぼ最年少だったから、当時、分会長を務めた教師達は今では、皆さん退職なさっていると思います。
文部省(2001年以降文科省)はそれから給特法に、何度か小さな改訂を行いました。
すなわち給特法を自己本位に解釈して、ずっぽりとぬるま湯に浸かっていた教師集団に、何度かジャブを撃ち、そして半世紀経ち、2020年、ついに強烈なアッパーカットを撃ったのです。
1972年、全国の教師が努力して獲得した給特法が半世紀後の2020年、文部科学省により、大幅に改訂されました。その内容とは、
「残業代を払わない代わりに基本給の4%を“教職調整額”として支給する」
つまり、基本給を4%上げる代わりに、“働かせ放題”という内容!
1972年、勤務時間が決められ、全教師が大喜びで迎えた給特法が、今や、教師を多忙に追い込み、縛り付ける悪法と変わり果てたのですが、なぜ教師側は闘わずして、目先の4%に目がくらみ、それを受け入れたのでしょうか。今のような事態に追い込まれることは、少しでも考えれば誰でも分かったはず!これがまさに、
“朝三暮4”
恐らく給特法と聞くと、多くの人は、2020年に改悪された給特法しか思い浮かばないのでしょう。その為、事実を正確に把握せず、いろいろな意見が入り交じってくると思います。
そして、教師達は文科省のジャブを避けられず、闘わずして、強烈なアッパーカットを撃たれてから、“忙しい”、“忙しい”、“忙しい”・・・・・
その逃げ道が、部活動に向けられ、「社会(地域)活動にすべきだ」という結論に達したのでしょう。
では次回は部活動、そして、部活動を通して教育とはどうあるべきか、に関する私の意見を述べさせて頂きます。
2023年6月14日
今回が2022年3月15日から始めた中学英語のまとめです。初めてのお方はそこからお読み下さい。
一応中学生英語シリーズは前回で終わりましたが・・。
私が初めて英語を教えたのは公立中学校が初めて。テレビ、ラジオ番組に出演したのも河合塾の”チャレンジ・テスト”が初めて。それ以後は全て大学受験英語でした。そのせいか、何か中学英語に愛着を感じています。今年久し振りに中学生が入塾してくれました。楽しいです。
中学生に送るメッセージはこれが最後になると思いますが、前回までのシリーズのまとめとして私自身のエピソードを述べますね。
私が高校生になり、漢文の授業が始まった。いつものように“内職”(絶対にマネしたらだめだよ!)で、不定詞の勉強をしていたら、“あれ!”と思ったのですが、漢文は縦に書き、英語の授業は日本語も横に書く。では、横に書いたら何の疑問も抱かなかった「不定詞」を漢文式に縦に書いてみると「定まらない詞」と書く。なぜ? すぐ英語の先生に訊きに行った。すると答えは、
「それは、不定詞という文法用語がついているんだ。ほら、動詞、関係代名詞、みんな文法用語なんだ。」(?!!)
それ以来、何の疑問も抱かず、10数年が過ぎ去った。
ある日、私はOxfordの街を歩いていた。10日ほど前、担当の教授に案内して頂いた通りだった。その時、待ち合わせの場所に行き、二人でぶらぶら歩いて行くと、"Mamoru!
this is the cheapest restaurant. You had better have dinner here." また暫く歩くと、"Mamoru!
This is the cheapest book store. You......" また少し歩くと今度は "Mamoru! this is the cheapest
shoe store. You...." 何度the cheapest... と聞かされたことか。
教授の名前は、ドイツ系だったせいか難しく、2~3回聞いても覚えられなかった。私はお腹がすき、彼にそう話そうとしたとき、思わず、"Mr. Cheapest, I
feel hungry. " と言ってしまった。すると教授は、"Oh, nice joke. That is the cheapest pub. Let's have
lunch here. Be my guest, please. O.K? "
さすがユーモアーの国、少しも嫌な顔をしなかった。! しかしその時のPubでの昼食代は、決してcheapestではなかった様ですが。
その日、教授に紹介されたCheapestの本屋に入った。イギリスでは新刊も古本も一緒に売っていた。そこで見つけたのが、古本 "Interesting stories
about English Grammar" と言う一冊の本!英語の教師になった運命の本だったかもしれない。
ホーム・ステイ先に帰り、その本を読んでみると、やっと不定詞の意味が分かった。つまり、
Father stopped to smoke.
= Father stopped in the direction to smoking.
英語は省略の文化。
Father stopped (in the direction) to smok(ing).
カッコ内が省略されていたのです。
直訳はお父さんは、タバコを吸う方向の中のいる!
図で書くと Father → → → → smoke
お父さんは→の方向のどこかにいるのであって、まだsmokeには到達していないんだ!
ここで分かったこと、
1.
不定詞は未来形:従ってこの文章ではお父さんがタバコを吸ったかどうか分からない、だから「定まらない詞」、不定詞、英語でinfinitive(infinite:形容詞、意味は無限の)と言うんだ。
2. to の品詞は何か?
今まで答えられた大学受験生はいませんでした。たとえ「前置詞」と答えても「前置詞とは、(名詞の前に置く詞)と書く。なぜsmoke(動詞)が来るの?、smokeは名詞には煙という意味しか無いよ」と聞くと、生徒達は、皆、「では、副詞・・・?」
smokingという動名詞の前に来ているからto-不定詞のtoの品詞は、もともとは「前置詞」だったんです。
これが私の失敗談!
なぜ疑問に思ったことを、その時、もっと自分で、ある程度、納得のいくまで考えなかったのだろう!
その後悔の念が、英語の教師としての私の原点になったかもしれません。文法には必ず易しい理論があることが分かって、いろいろ試してみた結果、殆ど解明できました。
中学生の皆さんにこれが本当に最後のアドバイスです。
何か疑問に思ったら(例えば、このシリ-ズで紹介した英語の文法のように)自分で考えてみよう。行き詰まるまで考えて答えが出なかったら、リラックスして、音楽を聴くとか、散歩に行くとか。そうすると答えは思わぬ時に訪れるものだよ。お風呂に入るのも良いよね。そうするとアルキメデスのように答えが見つかるかもしれないよ。これが“洞察を行う過程”なんだ。
しかし、ここまでしなくとも、疑問に思ったらまず自分で充分考え、分からなかったら先生に聞いたら良いと思うよ。
先生?先生?
最近、先生不足、部活動等、教育問題が新聞で良く見かけます。大学受験生シリーズ「英作中心」に入る前に、部活動を通し、私なりに教育問題について考察してみたいと思います。
次回からは大人向け!!
2023年6月3日
今回が2022年3月15日から始めた中学英語のまとめです。初めてのお方はそこからお読み下さい。
☆なぜ英語は中学校、高校の必須教科になっているのか?
本来の目的は、“言語を通して他国との文化の違いを理解し、国際的な感覚を身につけること”から始まったはず!!
前回、“He got married to her (by God).”ここで日本人の我々にはなかなか理解出来ない文化の違いが分かりましたね。
テキストの中の、次の文章はどうでしょう。
Many people living on the island were sent to war.
be + 過去分詞、受動態の箇所です。受動態は必ず行為者がいるはず。でも、“by+ 行為者”がない。能動態に直すと
S sent many people (who were)living on the island to war.
Sは誰? 誰が村に住んでいる多くの人々を戦争に送ったのでしょう。まさか前回述べたGodではないよね。必ず行為者がいるはずです。皆さん、次の様に習ったと思います。
「この文章はby them つまり、“一般の人々”が省略されているのです。by usもよく一般論としては省略されます。」
そうかな?彼らを戦場に送り込んだのは、一般の人々?
では、その中には村の人々も入るんだ。では、軍隊?天皇?国家?、はっきり分からない、あるいは、書きたくない、漠然としたものでしょうね。だから受動態を使い、行為者をはっきりさせないのです。
これから学ぶでしょうが、科学論等は特に次の様な文章が目立ちます。
It is believed that ~ (by の省略)
that 以下は誰によって信じられているのでしょう?なぜ“by
~.” と、動作の主体をはっきり言わないのでしょうね。 英語の受動態は、場合によっては著者が自分の書いた事に対しての責任を回避しよう、としている印象を与えるケースが良くあります。決してby
~の省略は一般の人とは限らないのです。はっきりさせないなんて、ちょっとずるいね。うまいごまかし方。
こう言う点が、日本語との、言語の違いかもしれませんね。
このテキストの中には 次の様な文がありました。
When she was found, she tried to commit suicide, but, she failed.
suicideには自殺するという動詞があります。commitは(罪・過失などを)犯す、と言う意味。つまり、commit
suicideとは、“自殺という罪を犯す”。日本語訳では“自殺する”
国によっては、自殺は罪と考えるのでしょうね。言語は宗教の影響を受けています。
このように文法の基礎を説明することによって、新中学2年生の生徒が、高2~高3程度の難しい長文が何とか読むことが出来ました。
すると、なぜ、自分と殆ど同じ年の少女達が戦場にかり出され、自ら手榴弾を投げ、自殺しなければならなかったのか。なぜ戦争が起こったのか。いろいろ疑問が沸いてきて、歴史に興味が移っていきます。
また、前回 ③ If you had not been brought here, you wouldn't have been killed. の訳が
「もし君がここに連れられてこられなかったら、君は死なずに済んだんだ!(号泣)」
なぜこのような訳になるの。という疑問も。
英文を読むには国語力もしっかり身につけなければ、行間の意味が理解出来ない事にも気付いてくれました。
一点から始まり、次の一点そしてまた次の一点へ。
一点、一点が積み重なり、それがIntelligence (知性)を形成し、豊かな教養ある大人に成長してくれるものと信じております。
2023年6月2日
今回が2022年3月15日から始めた中学英語のまとめです。初めてのお方はそこからお読み下さい。
☆文法は理論から成り立っている!!
決して暗記で覚えてはいけない!!
文法が理論的に理解出来れば、長文は必ず訳せる!!
具体例を幾つかだして、私の理論を展開してきましたが、最後は知性とは何かでひとまず終わりました。
先月、始業式を終えたばかりの新中学2年生がその日に渡されたテキストの長文を勉強したいと言ってきました。
内容は、Survivors of The Himeyuri Student Corps (ひめゆり学徒隊の生存者)の一人、宮良ルリさんの体験談。
高校2~3年生程度の難易度の長文。長文を見たとき、思わずその難しさに驚いてしまいました。生徒は中学1年生までの学習しかしていないのですから。
テキストの中の次の文は、宮良さんの友人が息を引き取ったときの先生の叫びを表した場面です。
① The teacher was crying, "I'm sorry for bringing you to the battle field. If you
weren't here, you wouldn't be dead."
② If you weren't here, you wouldn't be dead.
この文章は、明らかに間違い。不思議なもので、活字になれば、まして、テキストともなれば、疑うことなく信じてしまうものです。あえて訳せば「もし君がここにいないなら、君は死なないだろう」(?)
この節は、先生の、腹立たしさ、悔しさ、無念さが見事に表現されるべく、最高のシーンが、文法を考えなかったために、台無しになってしまいました。
本来なら、次の様に書くべきです。
③ If you had not been brought here, you wouldn't have been killed.
「もし君がここに連れられてこられなかったら、君は死なずに済んだんだ!(号泣)」
仮定法過去完了にしなければ、意味が通りません。weren't here, もbe deadもおかしいです。
恐らく、中学生用のテキストなの“だから”、仮定法過去完了は難しすぎるだろう、との筆者の判断だったと思います。 このような素晴らしい文章を選んだのなら、「中学生“だから”」という考え方はしてはいけないと思います。一生懸命予習してき、たとえ間違っていても、何とか自分なりに考えてくる生徒は必ずいます。 教師側は、生徒の考え方の過程を十分聞いてあげ、“博士チャン”に登場する専門家のように、「良くそこまで分かったね。でもね・・・」と説明してあげれば良いのです。
仮に②の文章が正しいとして、では、②の文章を現在形にしてみましょう。理解不可能な文にはなりますが、
If you aren't here, you will not be dead.
ここで問題になるのは
「Ifで始まる条件節、あるいは時を表す条件節は未来のことでも現在形で表現する!」
このように暗記してもだめ!
全ての教科に当てはまるのですが、常に、なぜ?と疑問を抱きましょう。では仮に、文法がないとしたら次の文章はどう訳したら良いのでしょう。
Please tell me when he will come back.
彼が戻ってくるのは未来。だからhe will come backで良いでしょう。しかし、2通りの解釈が可能です。
1. when 以下を名詞節と取る(when 以下はtellの目的語) つまりS V O Oの第四文型
私に、彼が戻って来る時を教えて下さい。日本語らしく訳すと、「(私に)彼がいつ戻って来るか教えて」
答えは (He will come back) At five. 「5時です」etc.
2. when以下は副詞節にも取れます。SVOの第三文型
私に彼が戻って来た時、教えて下さい。日本語らしく訳すと、「彼が戻って来たら教えてね」
答えは O.K. Yes, I will. No, I won't. etc.
「分かりました」「いいよ」「やだね」
1. のつもりで聞いたのに、相手が2. と受け取ったらどうなるでしょうか。
A:彼がいつ戻って来るか教えて。(彼が来る日時を聞いている。)
B:分かりました。
A:だから、いつ戻って来るの?
B:だから、分かったって言っているでしょう。
会話になりませんね。つまり言語のもつ最も重要な役割
The Communication of Information (情報の伝達)
は果たせません。ですから文法(規則)が必要になってくるのです。
文法とは言語を難しくするために作られたものではなく、それぞれの言語を構成する、最も重要な要素、道具、つまり、土台なのです。長年かけて、構築され、言語を言語たらしめているのです。
そうすると必ず、文法(規則)を作らざるを得なかったはず!しかも、誰にでも分かる簡単な理論で!
To be continued
2023年5月20日
今回からご覧になる方は「中学生英語、実は、大学受験生でもわかっているかな?」と言うテーマでシリーズとなっておりますので、10回ほど前の3月15日、「舟本のひとりごと」から読んでいただきたいと思います。
「サンドウィチマンと芦田愛菜の“博士ちゃん”」。
小学生、中学生が「答えのない問題」に取り組み、その道の専門家と対等に議論を交わす番組です。
幾つか例を挙げれば、小学生の時、親に買ってもらった人形から古代エジプトに関心を抱き、あらゆる文献を読みあさり、古代エジプトの謎を解明しようとし、中学生になり、自らエジプトに出向き、古代エジプト考古学者、世界の第一人者の博士と対等に議論を交わすまでになった時のものです。
その時の、考古学者の対応は素晴らしかった。
エジプト考古学、世界第一の考古学者:
「日本人でこれほどエジプトに興味を持ってくれて本当に嬉しいよ。君の推論は実に素晴らしい。僕もその点からもう一度考え直してみよう。ただ、僕の意見はこうなんだ・・・」
中学生の女の子と対等に語ってくれる古代エジプト学の世界の第一人者。素晴らしいですね。
番組の前回のテーマは、
“遭遇したらヤバイ、世界最恐生物”。
12人もの博士チャンが集まり意見交換。19位にランクインしたのが、サメの一種「ヨゴレ」。
中学生と、ゲストの、進化解剖学の権威、東大教授の遠藤先生との会話も素晴らしかった。。
博士チャン:
ヨゴレは絶対に一位だと思うよ。沈没された船の乗組員を襲い、食べてしまうんだ。
何と900人の内、生還したのは300人、残りの600人がヨゴレに食べられたんだ。
遠藤先生:
それって、インディアナポリス号の事だね。よく調べましたね。
レイテに向かうインディアナポリス号が日本海軍の伊号第58潜水艦の酸素魚雷によって撃沈され時の事だよね。
でもね、戦争という背景を忘れ、ヨゴレを何位に付けるとしたら、博士チャンとしては不合格だよ。
そのようなサメのいる場所に平気で人を送り出すのが戦争なんだ。
人間の方が全然怖いです。今度はその辺もしっかり勉強してね。
博士チャン:
はい、分かりました。有り難うございました。
次は18位にランクインされた白熊。
博士チャン:
・・・でも、温暖化のせいで氷が溶け、アザラシが取れなくなるので、2100年には今、2万6千頭いる白熊は0になると言われています。
遠藤先生:
よくそこまで調べたね。素晴らしいよ。でもね、2100年という数字はどこから出てきたの?
博士チャン:
?
遠藤先生:
きっと、えらい学者の皆さんが挙げた数字だろうね。死亡率が出生率を上回るのが2100年という数字だよ。知恵を使って、そうならないようにするのが今後の研究課題だね。
最後に芦田愛菜ちゃんが質問します。「将来どんな職業に就きたいの?」
すると全員が「今の研究をもっと見極め、社会の役に立つ仕事をしたいです。」
私が思うに、これがIntelligenceではないでしょうか。
次回で中学生を対象にしたシリーズをひとまず終えるつもりですが、なぜ、簡単な文法からはじまり、知性論まで来たかを次回で説明します。
2023年5月13日
今回からご覧になる方は「中学生英語、実は、大学受験生でもわかっているかな?」と言うテーマでシリーズとなっておりますので、12回ほど前の、2022年3月15日、「舟本のひとりごと」から読んでいただきたいと思います。
intelligence(知性)とは何か?なぜ知性が“良い意味”ではなく“悪い意味”にも使われるのでしょうか。
次の文章はもう大学入試では定番と言って良いほど多くの大学入試で使われている「知性論」。単語、文法などをアレンジし、読みやすくした文章も難関高校入試に使われているのですから中学生もチャレンジしてみましょう。
By intelligence we mean a style of life, a way of behaving in various situations,
and particularly in new, strange, and perplexing situations.
The true test of intelligence is not how much we know how to do, but how we behave
when we don't know what to do.
“知性”とは、生活様式、つまり、様々な状況における、それも特に新奇な、そして当惑するような状況における行動様式のことである。
“知性”が真に試されるのは,もののやり方をどれだけ多く知っているかではなく、何をすべきかわからない時、どのように行動するかという時である。 (舟本訳)
つまり、全てにおいて、疑問を抱かず丸暗記し、知識を蓄えるのが“intelligence”ではないと言う事です。今起こっていることに疑問を抱かず、プロパガンダ(propaganda:政治宣伝ともいう。
ラテン語のpropagare(繁殖させる、種をまく)に由来する)に惑わされ、真実を理解出来ない事の誤りをチャップリンは指摘しているのです。
1990年代の「子供に見せたくない番組」のWorst Oneに選ばれたのが私の大好きだった「8時だよ!全員集合!」
私が2000年代の「子供(特に中・高校生)に見せたくない番組」Worst One を挙げるなら「クイズ東大王」!
登場する東大生は、アイドルにでもなったかの如く振る舞い、絶賛を浴びている番組。
クイズとは所詮、必ず、「答えのある問題」の答えを、いかに多く暗記し(how much we know
)それを、人よりも早く答えること。現代の英語教育と同じなのです。大学に憧れる受験生は「東大生は、暗記力が素晴らしい。良い大学に入るには、しっかり暗記しなければ。受験とは暗記なり!」と考えるのではないでしょうか。
今の英語教育は、それと同じ。センターテスト、新テストを取り上げても、80分であの問題を解くには、問題を真に理解すると言うよりは、いかに要領よく解いていく者のほうが良い点を取るのです。
ただ、番組を卒業する際、卒業した東大生の一人が全員を代表し、「僕らのやってきたことは、社会にとって何の役にも立たないことです。でも、今まで見てくれて有り難うございました。」と言った時、少しは救われたような気がしました。
逆に、私が2000年代、「子供(特に少・中校生)に見せたい番組」Best One に挙げるのは、「サンドウィチマンと芦田愛菜の“博士ちゃん”」。
To be continued.
2023年4月7日
今回からご覧になる方は「中学生英語、実は、大学受験生でもわかっているかな?」と言うテーマでシリーズとなっておりますので、12回ほど前の、2022年3月15日、「舟本のひとりごと」から読んでいただきたいと思います。
前回マーク・ピーターセンの解釈、by ~の動作の主体は“運命”、あるいは、もっと厳密に言えば“創物主”である。“神”である。
さあ、今日はちょっと難しいですよ。
先日、ある高校生の学年末試験の範囲に、映画「チャップリンの独裁者」の一場面、チャップリン扮するチャーリー(ヒットラー)が恋人ハンナに送る演説の英文が載っており、授業を進めるうちに次のことが頭をよぎりました。
40年ほど前だっただろうか、日本を代表する哲学者、宗教哲学者、梅原猛氏の講演の内容を思い出しました。(テーマは、「神とはなにか」だったと思います)
講演は「皆さん、神とはなんだと思いますか?」から始まり、最後は、チャップリン監督、主演映画“Limelight”の話となりました。
当時、その映画は、主題歌「テリーのテーマ」が第45回アカデミー作曲賞を受賞したこともあり、大半の人が鑑賞していたと思います。内容を簡単にまとめれば、
「チャップリン扮するカルヴェロは、近所でも有名な無神論者。場面も酔っ払って家に帰ってくるカルヴェロの登場から始まる。足が震える病気になり、自殺を試みたバレーリーナーのテリーを救い、勇気づけ、立ち直らせる。最高のシーンはテリーのプリマとしての大舞台。しかしまた足が震え、動けなくなった彼女をカルヴェロは顔を殴り、彼女を舞台の真ん中に送り出す。「テリーのテーマ」にあわせ彼女は足の震えを克服し踊り出す。」
梅原猛氏:「皆さんこの時、無神論者のカルヴェロはどうしたでしょう? 舞台裏の奥に行き、ひざまずき、手を合わせ、“お願いします。踊りを続けさせてください”と祈ったのです。無神論者として有名なカルヴェロがです。誰に祈ったのでしょうか? 皆さん、神とはこのようなものなのです。」
「チャップリンの独裁者」の中にも次の様な台詞がありました。
In the seventeenth chapter of St. Luke, it is written that "the kingdom of God is
within man" -not one man, nor a group of men, but in all men.
(ルカ伝の17章に「神の国は人の心のなかにある」と書かれている。一人の人でも無ければ、一つの集団の人々でも無く、あなた達、全ての人々の中に。)
心理学者、E.Fromm(フロム)は著書「自由からの逃走」の中で、「神が人間を創造したのではなく、人間が神を創造したのだ」。と言っています。
共通したものがありますね。チャップリンは、喜劇王としてではなく、偉大な哲学者ででもあり、文学者でもあったのです。
恐れ多くも、“神“をテーマにした「ひとりごと」を書きましたが、断っておきますが、私は、お正月には上賀茂神社に初詣に行き、おみくじを引き、父母の命日には延仁寺にお参りし、クリスマスにはこの年になってもクリスマスケーキを口にし、キリスト教に感謝する、と言った典型的な日本人です。
これまで、一緒に英作を授業をしたNativeさん達はそんな私のことを、"relative religious
indifference"「宗教無関心」と言っていました。
さて、英語の勉強に戻りましょう。
「チャップリンの独裁者」の演説の台詞にこのような一文があります。
“Our knowledge has made us cynical; our cleverness, hard and unkind.”
分かりやすく、省略を補えば、
“Our knowledge has made us cynical; our cleverness (has made us) hard and
unkind.”
中学3年生とも成ればこの位の英文は分かりますね。cynicalは懐疑的な、冷笑的なと言う意味。
何度も説明してきた第Ⅴ文型です。では、訳してみましょう。
「知識は私たちを懐疑的にし、賢さは私たちを気むずかしく、不親切にしてしまったのです。」
何かおかしくありませんか?knowledge(知識)cleverness(賢さ)、intelligence(知性)は、言うまでも無く、“良い意味”ですよね。ではなぜその“良い意味”が懐疑的、気むずかしさ、不親切、につながるのでしょうか。今回は高校生及び大学生のテーマになってしまいましたが、進学校の中学3年生の皆さんならこのくらいの勉強はしてますよね。
knowledge、cleverness、intelligence(知性)とは何か。一度考えてみましょう。
2023年4月4日
今回からご覧になる方は「中学生英語、実は、大学受験生でもわかっているかな?」と言うテーマでシリーズとなっておりますので、11回ほど前の3月15日、「舟本のひとりごと」から読んでいただきたいと思います。
あなたは今、アメリカで特急に乗っているとしましょう。日本語が少し分かる車掌さんが来て、「私はあなたのキップ見えますか?」とか、「私、あなたのキップ分かりますか?」と言われたら、あなたは日本語のNative
Speakerですから勿論おおよその意味は分かりますよね。ですからすぐ、キップを見せるでしょう。しかし、日本人には似てはいるものの、日本語のNative
Speakerではない、あるいは少し日本語が分かる程度の人ならば、何を言っているのか正確には分からないでしょうね。どうも、問題はここにありそうです。
①I saw a movie last night.
②I looked at a movie last night.
③I watched a movie last night.
①も、②も、③も意味は「昨晩、私は映画をみた。」ですが、言おうとしていることは少しづつ違うようです。
①は、目という“道具”で、あるものをvisual
informationとして頭脳に入れる。つまり何かを「経験した」と言う意味。①の言おうとしている意味は「一本の映画の内容を頭に入れた。」I read the
book.(私はその本は読みました)のread と同じような働きだと思えば良いのです。
"You see?" "Yeah, I see." 「分かった」「うん、分かった」なぜ、seeが分かるという意味で使われているか分かるね。
②「一応注意してみる」ことですが、時間の経過はあまり感じない表現です。授業中、スマホを見て、授業に集中していない生徒に向かって先生が怒り、"Look at
me!" "Look at the black board!" 「私を見なさい」「黒板を見なさい」と言うのも良く分かるような気がしますね。
③はまさに、時間の経過して行く間、ものの変化を意識する。「観察」に近い表現です。テレビの画面は動いているのですから、つまり、時間が経過しているものを見ているのですから、I
watched TV. と言うのです。「テレビを見るは必ずwatchを使いなさい」などと、ただ暗記させられては困るよね。
特急の車掌さんは、Show your ticket, please.( 切符を拝見いたします)と言えば皆さんすぐキップを見せてくれたのでしょうね。
今回は、私の浅薄な知識では正確に伝わらないと思い、マーク・ピーターセン著「続・日本人の英語」を参考に、私なりの理論をまとめてみました。
次回は前回の続き、“神”についてです。
2023年3月30日
今回からご覧になる方は「中学生英語、実は、大学受験生でもわかっているかな?」と言うテーマでシリーズとなっておりますので、10回ほど前の3月15日、「舟本のひとりごと」から読んでいただきたいと思います。
さて、私は京都から奈良まで40年近く特急で通っているのですが、東進の講師をしていた頃、テレビのコマーシャルに出ていたせいか、車掌さんからよく英語の質問を受けたり、通訳を頼まれたこともありました。その中で実に面白い質問を覚えております。
Conductor:
「先生、“キップ(特急券)を見せていただけませんか?”とNativeの方に "Can I see your ticket?
と言いますと、分かってくれる方と、全然分かってくれない方がおられるのですが、マニュアルにはそのように書いてあるのですが、どうしてですか?」
なぜ "Can I see your
ticket?" と言うと一部の外国人はすぐにキップを見せてくれて、一部の外国人は“何?、それどういう意味?”と言うかのように不思議そうに車掌さんを見つめたのでしょうか。問題はどうもseeにあるようですね。なぜか分かりますか?seeと言う単語は中学1年生の教科書に出てくるような易しい(?)単語ですよね。
次回は、この解説と前回出てきた“神”について一言!
2023年3月18日
「彼は彼女と結婚した」
He married with her.
日本語的発想では正しいようですね。しかし、marry は他動詞で「~と結婚する」と言う意味です。従ってwith は必要なし! He married
her. となります。
しかし、marry には「(人を)~と結婚させる」という意味も有り、受動態にし、次の様な表現の方が一般的です。
He got married to her. (彼は彼女と結婚した:動作)
He has been married to her for three years.(彼は彼女と3年間結婚している:状態)
しかし、疑問に思った人はいませんか。
受動態の公式は
be + 過去分詞 + by ~
ではなぜmarryの場合by ではなく、to なのでしょう。
さあ、大学受験生の諸君も分かるかな?
ここもまた暗記教育の弊害なのです。今、手元にある中学生用の参考書を見ております。
「He was known to many people.
この文はby のかわりにtoがきています。よくbyが使われますが、knowのときには、toをつかうのです。次の言い方を覚えておきましょう。
be covered with, be made of (from), be surprised at ・・・・」
私も中学校時代、わけが分からないままに一生懸命暗記したものでした。
“He got married to her.”という英語は受動態ですよね。となると能動態のmarried to
もあるはず。それにその主語、動作の主体もどこかにあるはず。
Who married to her?
先ほどの中学生の参考書の「受身形」の導入は、
This letter was written by him = He wrote this letter.
とあります。Who wrote this letter? と質問されたら him と答えることが出来ますね。では、“He got married to
her.”の背景にある主語は?
私はある本に出会い、やっと疑問が解けました。
「“運命”、あるいは、もっと厳密に言えば“創物主”である。“神”である。神や運命を信じない人でも平気でその表現を使うから面白い。」
マーク・ピーターセン著 「続・日本人の英語より」
彼の理論からすると、“He got married to her (by (God).”
日本人にはなかなか理解出来ないですよね。まさか、“He got married to
her.”の背景にある主語は「神様・仏様・村神様」ではないですよ。さしあたり「彼と彼女は“赤い糸”で結ばれたのだ」と考えた方が日本人にはわかりやすいかな((^_^)。
しかし、ここにこそ、英語を学ぶ大きな価値が見いだせるのです。西洋の文化、日本の文化の実に面白い相違点です。
“言語を通し、他国の文化を知る”
もっともっと、楽しい違いがあるいはずですね。
2023年3月15日
She will make him a good wife.
「彼女は彼を良き妻にするでしょう」と解答した生徒諸君はmakeを使役動詞として取りSVOCと考えたのでしょう。
OがhimCがwife。私の著書「基本文法だけで・・・」で、補語に関する舟本流公式を紹介しました。
1+1=2
つまり、2に当たるものが補語、=は(です)。
準動詞は別として、補語(名詞・形容詞)の前には(です)に当たる英語beがくる。補語に名詞が来たら第Ⅱ文型はS=C、第Ⅴ文型はO=Cです。するとこの文のmakeを使役動詞としてとると(第Ⅴ文型)O=Cですから、him=(a
good)
wifeとなります。him(男性)はher(女性)にたいする代名詞、wife(女性)はhusband(男性)にたいする名詞。男性=女性になってしまいますからmakeは使役動詞ではない、すなわちこの文は第五文型でないことに気付くはず。
従って(a
good) wifeは目的語、この文は第Ⅳ文型だったのです。
第Ⅳ文型をつくるmakeはbecomeの意味ですのでこの文を第Ⅲ文型に直すと
She will become a good wife for him.
つまり「彼女は彼の良き妻になるでしょう」が正解です。makeがくるとすぐ使役動詞ととってしまう傾向があるようです。
この文の“おち”は a good wife にあると考えた受験生もいました。
彼らの訳は「彼女は彼においしい料理を作らせるでしょう」「彼女は彼に掃除・洗濯をさせるでしょう」など。今ではその根底にある思考はセクハラである、と攻められるかもしれませんよね。
次回は、「結婚する」です。さあ、予習です。
「彼は彼女と結婚した。」先日大学の講師をしている友人と会ったとき、大半の学生は
He married with her.
と書いたそうです。正しいでしょうか?
2023年2月24日
I'm going to let my children do their own homework just like my father always let me
do mine.
使役動詞を考えてみましょう。使役動詞は、make, let, have, getがあることは誰でも知っていると思いますが、本当に知っているかな?
では、なぜ 「私も私の子供達には自分の宿題は自分で“させる”つもりだ」になるのでしょう。
今の時代ではこの訳は常識的には当然でしょうが、この文ではどうでしょうか。おそらくこの文は随分以前のことを書きたかったのでしょう。
Monster
Parentという言葉は皆さんご存じですね。私が公立学校教諭時代に誕生した言葉ですので、補導部、生徒指導部、を担当していた私は何度となくひどいMonster
Parentに遭遇(?)してきました。
ダーウインの“進化論” から考えるとMonster
Parentの祖先は戦時中の父親から始まるのでしょう。当時の父親は“地震・雷・火事・親父”と言われたほど厳しい親で、その親に育てられた子供達が親になったとき父親を反面教師と考え、自分の子供達には優しい父親になりたかったのでしょう。それが“親ばか”と呼ばれるものに進化。子供の宿題は親が率先してしてしまうとか、夏休みともなれば、父親が子供そっちのけで、自らが作品を作ったりしたものでした。
この文章は、この時代のhumorと言うかsarcasm(皮肉:語源はラテン語で、肉を裂くから。時代とともに意味が変わった単語です)で表現したものだと思います。正しい訳は
“私は父がいつも私にそうさせてくれたように、私も私の子供達には自分の宿題は自分でさせてあげるつもりだ”になります。なぜそうなるの?と問う前に本当に使役動詞って分かっているのかな。
もし、例文がletではなくmakeであるなら“させるつもりだ”で良いのです。
makeは強制、letは許可を意味するのです。この基礎が理解出来ているつもりでもいざ実践となると理解出来ないものですね。ではmakeを使った長文の一節からもう1問。
私が河合塾の講師時代、添削の仕事をさせられました(made)。本当に辛い仕事でした。限られた時間でしたので、2日ほど徹夜でこなしたものでした。しかし、今考えるとその時の添削の仕事が今の自分の大きな財産となったと感謝しております。その中で今でも覚えている問題です。
She will make him a good wife.
難関国公立大学のオープン模試でしたが、時間が限られていたせいでしょうか、大半の生徒の解答は「彼女は彼を良き妻にするでしょう」でした。皆さんの解答は?
長くなってしまいましたので「部活・・・」は次回に。
2023年2月23日
昨年の3月31日以来、およそ早や1年が過ぎ去ってしまいました。この間、病気にかかり、”舟本のひとりごと”も一年ぶりとなってしまいました。ご覧になっていただいた皆様、大変ご心配をおかけいたしまして、申し訳ございませんでした。本日からまた続けていきたく思います。
そもそも始まりは”ゆとりの教育”以来、文法が余りにも軽視され、長文が読めない生徒が増えたため、もう一度原点に戻り、中学校文法の基礎の基礎を学んでみましょう、と言うものでした。
今回は2度に渡り、中学生なら誰でも知っているであろう文法の問題ですが、大学受験生でも良く理解できていないであろう文法のお話です。
では、ある国公立大学の入試問題から。次の英文を訳してみましょう。
I'm going to let my children do their own homework just like my father always let
me do mine.
「簡単簡単。SはI、Vはlet(使役動詞)Oはchildren
Cはdo(原型不定詞)SVOCの第Ⅴ文型だよね。使役動詞の場合、get以外はCにto-不定詞ではなく原型不定詞をとるからね。従って訳すと”私は父がいつも私にそうさせたように、私も私の子供達には自分の宿題は自分でさせるつもりだ”簡単な入試問題だね!」
そうかな?実はこの問題は単にSVOCを聞いているのではないのですよ。解説は次回へ。考えておいて下さいね。次回は解説と、今問題になっている、「部活動は社会(地域)活動にすべき」についての私の考えを述べてみます。
2022年3月31日
(中学英語3)
まず前回の訂正です。今は訂正されていると思うのですが、
「大学を卒業した」より「先生になった」方が時期的に半月も早いのですから、・・・
この箇所、大変な間違いをしてしまいました。すでに前回の文章を読んでくれた生徒は「え!」と思ったでしょうね。以下に訂正し、お詫び致します。
「先生になった」より「大学を卒業した」方が時期的に半月も早いのですから、・・・
前回の解答です。
今、先生は時計をしています。その先生が
(日本語)「私は時計をなくした。」
(English) I lost my watch.
日本語は間違っていますが、それをそのまま英語に訳した文は正しいのです。何故でしょうか?
私が初めて予備校界に参加したのは河合塾と、京都Y.M.C.A.予備校でした。京都Y.M.C.A.にはNativeの方が多かった為、英作の授業は私(日本人)とNativeの先生と2人で行うことを提案し、この授業体制が採用され、その後、アルカディアでもそのスタイルを続けてきました。
英作の授業を通し良く分かったことは、Nativeの先生達が特に面食らうのは、日本語の時を表す表現でした。
日本語には、時制(Tense)の代りに「相(Aspect)」というものがあり、Tense自体がないというところから様々な奇妙な英語が生じるようです。
日本語は「相(Aspect)」
英語は「時制(Tense)」
つまり、英語は時は点でつながっており、日本語の時は線でつながっているのです。
「 I lost my watch.」
点でつながっているのですからlostは過去の事実を言っていて、現在とはつながっていないのです。 「私は時計をなくした。」は線でつながっているのですから、今時計を持っているのはおかしいことになります。
「I have lost my
watch.」現在完了形はすごく便利な時制で、過去に起こった動作・状態が「完了」「結果」「経験」「継続」のいずれかで現在と線でつながっているのです。
この文章は、過去に時計をなくした、「その結果」今(時計がなくて)困っている」、と言う意味。常に時制に気をつけ長文を読んでいきましょう。
2022年3月26日
As soon as he had graduated from college, he became a teacher.
= On graduating from college, he became a teacher.
as soon as ~=on ~ingと習い、何故か分からねど、ひとまず暗記、暗記・・・。
As soon as he had graduated from college, he became a teacher.
確かに、「先生になった」より「大学を卒業した」方が時期的に半月も早いのですから、時制を考えると、一見正しいように見えますね。
as soon as ~ は、「~と同じくらい早い」、つまり、2つの動作が間を空けず接触して起こったのです。
ですから、As soon as の構文は時制が一致していなければ成りません。従って、上の文は間違いです。正しくは、
As soon as he graduated from college, he became a teacher.
ところで今、「接触」と言いましたね。前置詞onは接触を表すので、On graduating from college, he became a
teacher.
と言い換える事が出来るのです。
前置詞とは「(名詞の)前(に)置(く)詞」。
そして、前置詞もそれぞれの理論があるのですよ。例えば、
「天井にハエがとまっている。」という日本語を考えると私たちはThere is a fly under the
ceiling. と考えてしまいますね。天井の下にハエがいるのですから。でも天井とハエは接触していますからThere is a fly on the
ceiling.になるのです。
このように考えると、on time は「時間通りに」、in
timeは「間に合って」という熟語は皆さん暗記させられていると思いますが、具体的にどういう論理でinとonがtimeと組んでそれぞれの意味になるのを知っている生徒はほとんどいないでしょう。in
time は「一応ある間(の中)に入っている」からinになり、on time は今日述べましたように、「時間が(接触)している」からon
に成ります。次回は今日も出てきた時制の問題。
今、先生は時計をしています。その先生が
「時計をなくした」
I lost my watch.
この日本語は正しいですか、英語はどうでしょう。
2022年3月23日
今日は、中学生英語(1)の解答からです。
I ate a chicken at the backyard.
①素晴らしい傑作と言ってもよい文章なのか。
○正しいです。舟本訳は次の様になります。
「(山賊が村を襲い人々を皆殺しにした後)裏庭で逃げ惑う鶏を1羽捕まえ、1羽丸ごと食ってしまった。彼の口元は、鶏の血と羽だらけになり、彼は、満腹になった腹を撫でていた。」素晴らしい生き生きとした名文ですよね。
しかし、私たちの日常生活を考えると、そんなことはまずあり得ない、恐らく食べたのは鶏1羽(a
chicken)ではなく、バーベキューで鶏肉(chicken)を食べたのでしょう。すると、
②とんでもない、笑わせるような、おかしな文章なのか。
○これも正しいです。恐らくこの文章を書いた人は「昨日裏庭で(皆でバーベキューをして)鶏肉を食べた」と言いたかったのでしょう。では、なぜこのような文章になったのかというと問題は冠詞のa
にあったのです。
学校では皆さんは次の様に習いましたね。
「数えられる名詞の前には必ず「冠詞」a (an)を付けます。冠詞を付ける名詞、すなわち数えられる名詞は、book, desk, boy, girl
・・・。冠詞を付けない名詞、すなわち数えられない名詞は、water, air, Mike, Kyoto
など。川は、海は、都市は・・数えられる?数えられない? 全部暗記しましょう。
私も中学生の時、必死に暗記させられたものでした。全く馬鹿げた時間を費やしました。
「数えられる名詞に冠詞を付ける、数えられる名詞とは・・・・で、数えられない名詞は・・・。さあ、暗記しなさい。」 この冠詞を暗記させることから英語教育の間違いが始まるのです。
理論から言うと逆なのです。つまり、a(an)がくると、次に「初めと終わりをもつ名詞」が準備(readiness)されるのです。上記の英文の場合、a
と言われた後、すぐに始めと終わりをもつ名詞、コケコッコーを準備してしまうから、例文の意味が変わってくるのです。今回は次のことだけを覚えておいて下さい。
「冠詞とは名詞につくアクセサリーのようなものではない」
さて、前置詞にも当然理論があります。
中学英語(2)前置詞
次の英文は正しいでしょうか。状況は、彼が卒業したのは3月15日、就職したのは4月1日だとします。卒業した方が早いですね、ですから時制を考えて・・・
As soon as he had graduated from college, he became a teacher.
= On graduating from college, he became a teacher.
2022年3月15日
「ゆとりの教育」が始まった頃から、英語(文法)は暗記教科であるという授業が蔓延し出した。例えば
「動名詞だけを目的語にとる動詞」
頭文字をとって「(恐竜)メガフェップス(は)デカイ」と覚えておこうmind, miss, enjoy・・・・これ以外は全てto-不定詞。
初めてこの参考書に触れた時(30年ほど前)、唖然とした事を今でも覚えている。
しかし、今では、全てが、このような教え方。では、なぜmind, miss, enjoy・・・・は動名詞のみ目的語にとるのか、なぜhope, wish,
plan・・・・はto-不定詞のみを目的語にとるのか、その理論は生徒達には全く分からず、ひたすら、メガフェップス、デカイ、メガフェップス、デカイと暗記する。
私は文法とは「理論」であると考えてる。
いかなる文法にも「理論」があるのです。例えば、冠詞も・・・。
今回からしばらく中学生英語の質問をしますよ。と言っても答えられる高校生は少ないはず。このシリーズの目的は実は高校生を対象としています。中学の時、しっかり文法を習っておけば、(理論的に習っておけば)高校生となり受験を控えた時期、難解な長文も読めるようになるでしょう。
中学生英語(1)
例えば、次の文章は
①素晴らしい傑作と言ってもよい文章なのか。
②とんでもない、笑わせるような、おかしな文章なのか。
Last night, I ate a chicken in the backyard.
(マーク・ピーターセン著「日本人の英語」から)
単語は大丈夫ですね。last night は昨夜 ate はeatの過去形(食べた) backyard は裏庭
解答は次回にお知らせしますね。このシリーズを通し、英語は決して暗記教科ではなく、その文法は全て理論で成り立っていることを述べていきたいと思います。
2022年2月25日
アルカディア卒業生の皆さん(アルカディアンの皆さん)へ!
皆さん、コロナ禍の中、元気に頑張っていますか。新しいホ-ムページを立ち上げ、私も又、新たな気持ちで頑張っております。
さて、最初から悲しいお知らせをお伝えしなければなりません。開校当時、いつも私を支えて下さり、特に第1期生から第7期生の皆さんは進路、三者面談等で本当にお世話になりました、今井泰二教頭先生がお亡くなりになりました。今でもあの優しい笑顔で、皆さんの進路相談をして頂いたり、お母さんと一緒にいろいろ悩みの相談をして頂いた事が忘れられません。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
今日で、国公立大学の前期試験対策が終わりました。本年度も優秀な生徒諸君に来て頂いたので発表が楽しみです。これからは出来るだけ投稿するようにしますのでお楽しみに!
2022年2月17日
Now I myself have reached that stage in life where I like to have my birthdays
remembered but not my age.
(さて、私自身は自分の誕生日は覚えておいてもらいたいのですが、年齢は忘れてもらいたい年代になりました。 99年 神大入試より)
20年以上も前のこの文章が、なぜかいつまでも私の頭の中に残っていたのですが、当時、まさか自分もこの年代に属するとは想像すら出来ませんでした。
しかし、自分の誕生日はいくつになっても楽しみなものです。
特に、今年は最高のプレゼントをいただきました。“嬉しいなぁ”。
上の写真に写っているのがその誕生日プレゼントです。送ってくれたのは“ももかちゃん”3歳になる女の子。アルカディアの卒業生で、今は、立派なお医者さんになりました古藤君のお嬢さん。
2年前一緒に水族館に行き、コロナが落ち着いたら今度は動物園に行く約束をしました。今から楽しみです。“百華ちゃん、有り難う”
2022年2月1日
寒中お見舞い申し上げます
皆さんお久し振りです。お元気でしたか。
コロナやら、手術やら、お葬式やら(次号でお伝えします)、そして、ホームページの更新やらで、すっかりご無沙汰してしまいました。今後頑張って投稿し、アルカディアの近況等をお伝えします。